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【読書日記】5/31 「未知なるもの」と「身近なもの」の視点。「ANTHROVISION人類学的思考で視るビジネスと世界/ジリアン・テット」

ANTHROVISION~人類学的思考で視るビジネスと世界 
ジリアン・テット 著
 日本経済新聞出版

「なぜ医学ではパンデミックを止められないのか」
「なぜ投資銀行はリスクを読み誤り世界的な金融危機を引き起こしたのか」「2016年、大統領選で有識者はトランプの勝利を予測できなかったのはなぜか」等々

AI(Artificial Intelligence 人工知能)がビッグデータから導き出すのは「WHAT」であり「WHY」にはたどり着けない。
だから、もうひとつのAI(Anthropology Intelligenceアンソロポロジー・インテリジェンス 人類学的知能)が重要である、というのが本書の趣旨。

経済予測、選挙の世論調査、金融モデルなど今までの主要な手法が機能していないのは、それらが不完全であるから。
特に、VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代には通用しない、と文化人類学者でありファイナンシャルタイムズ米国版編集委員会委員長のジリアン・テット氏は言います。

融通のきかない経済モデルなど二十世紀に開発されたツールだけに頼って二十一世紀を渡っていこうとするのは、夜中に真っ暗な森をコンパスの盤面だけを見つめながら歩いていくのに等しい。すばらしく高性能なコンパスなら、目指すべき方向を示してくれるかもしれない。しかし盤面だけを見ていたら、木にぶつかるかもしれない。視野が狭いのは危ない。必要なのは広がりのある視野であり、それこそ人類学が与えてくれるものだ。これを「アンソロ・ビジョン(人類学的視点)」と呼ぼう。

アンソロビジョン

著者の説く「アンソロ・ビジョン(人類学的視点)」の基本思想は以下の三つです。
1.グローバル化の時代には見知らぬ人々に共感し、ダイバーシティを大切にする姿勢をはぐくむことが急務である

2.どれだけ異質なものであっても他者の考えに耳を傾けると他者への共感につながるだけでなく自らの姿もはっきりと見えてくる

3.「未知なるものと身近なもの」という概念を理解することで他者や自分の死角が見えてくる

本書では、この「アンソロ・ビジョン(人類学的視点)」の重要性について、冒頭に記載した問題のほかに「なぜ物理的な職場(出社すること)が必要なのか」「若者にとってのサイバー空間の重要性とはなにか」「サステナビリティ運動が盛り上がるのはなぜか」「なぜGM(ゼネラルモーターズ)とオペルの提携が暗礁に乗り上げたのか」「サイバー空間のデータとサービスの交換の意味を経済学者が読み間違う理由」などの具体的な事例をあげて紐解いていきます。

それぞれの事例について「エスノグラフィー」という人類学的手法、「先入観を持たずに徹底的に他者を観察すること」、「周囲を見渡し、目を凝らし、耳を傾け、自由回答形式の問いを投げかけ子供のような好奇心を持ち、相手の身になって考える」ことで得られた知見が興味深く、ああ、そういうことだったのか、と納得したり、自分たちの身近なことに置き換えて考えさせられたり、とそれぞれの立場に応じた学びのある一冊です。

その中から第二部「身近なもの」を未知なるものへ 第5章「企業内対立 なぜゼネラル・モーターズ(GM)の会議は紛糾したのか」について考えたことを記しておきたいと思います。

GMとオペルの技術提携が上手くいかなかったのは、技術者たちの会議が紛糾しプロジェクトの進行が進まなくなったことが大きな原因ですが、それについて、人類学者が気付いた重要な事実として「会議」で何をすべきか、の定義がそれぞれ違っていたことをあげています。

 会議がこれほど紛糾する原因は(ケーブルの配線など)技術的立場の違いだけでもなかった。技術者たちが気付かなかったもうひとつの原因は、技術を論じる以前に「会議とはどういうものか」という前提が部族によって異なっていたことだ。彼らにとって会議は自明のもので違いに気付くどころか会議とはどういうものかを改めて考えてみることもなかった。

アンソロビジョン

 会議とは(検討は会議以外の場で行っているのだから)「あらかじめ明確に定めた議題に基づき、具体的判断を下し、簡潔に終わらせるべきもの」であり、「リーダー主導で判断を下すべき」ととらえるグループ。
 会議とは「アイディアを共有する場であり、議題はあらかじめ定めず、情報交換の中で議論を発展させていく場」であり「意思決定は大多数の合意によるべき」ととらえるグループ。
 会議とは「判断を下すのではなく、合意を形成する場」であり、「少なくとも七割は正しいと思えなければ判断してはいけない」ととらえるグループ。

どのグループの考え方が正解とかいうのではなく、この三者の代表が集まって「会議」をしてもまとまるわけがない、ということは推測できます。

この事例のよく知っている単語でも「どういうもの」として認識しているかを確認しておいた方が良い、というのは腑に落ちました。

私にとって身近な例として「予算」が思い浮かびます。
予算策定をする場合に、経費(支出)をどのように見積もるかという例です。
官公庁出身の方は、予算を自分たちの権限の及ぶ範囲(支出して良い限度額)ととらえるので、多少の見積もり違いは吸収できるくらいに余裕をもって策定する傾向があります。
一方で、民間企業出身の方は、その事業達成のために必要と考えられる内容を満たし、かつできるだけ削減したもの、つまりを目指すべき目標として策定する傾向があります。
だから、官公庁にとっては、予算超過は「あってはならないこと」であり、民間企業にとっては、「目標値だから達成できないこともある」となります。
どちらが正しくどちらが間違っているわけではなく、ただ、違う、のです。

同じチームに両者がいて民間企業出身のAさんが予算を策定し、実績(決算)が予算超過になっていた場合、官公庁出身のBさんにとっては運営管理上重要な問題であるから原因を問うけれども、Aさんにとっては、実績が予算を超えることなどよくあることであって、そんな些細なことを言ってくるBさんは面倒な人だ、となりかねません。
そのチームにとって何を重視して「予算」を策定するのが効果的なのか、を最初にすり合わせておけば防げる行き違いですが、お互いの認識に差があることに気付かなければその必要性は感じないということです。

公私を問わず、人と人のかかわりの中で起こる様々な難題で、なぜうまくいかないのかわからないとき「当たり前」を見直してみること、第三者として事態を始めてみるかのように観察してみることで、「WHY」を知るきっかけになるかもしれません。
だからといって解決に直結するわけではないと思いますが、ゴルディアスの結び目を切らずに解く糸口は見つかるかも。

他にも、興味深い事例が多くありました。
特に「モラル・マネー」の項は、企業の開示で「サステナビリティ情報」が重視されている現状と合わせてじっくり考えてみるつもりです。

私は、自分の考え方や価値観が比較的固定化・硬直化しやすい傾向を自覚しているので、そういう意味でも「アンソロビジョン」の必要性は高いのかもしれない、と思っています。