【読書日記】1/23 やさしさって何だろう。「しんせつなともだち/方 軼羣」

しんせつなともだち (こどものとも絵本)
方 軼羣 (作),君島 久子 (訳),村山 知義 (画)福音館書店

天気予報が繰り返し大寒波襲来を伝えています。
雪が似合う我が家のうさぎ本の中の一冊。

食べものがない寒い雪の日。食べ物を探しに出たうさぎは、かぶをふたつ見つけました。ひとつ食べて、もうひとつのかぶを「ゆきがこんなにふって とてもさむい。ろばさんはきっとたべものがないでしょう」と持っていきますが、留守だったのでかぶをおいていきます。 
家に帰ってきたろばは、さつまいもを手にいれていたので、そのかぶは山羊に届けることにします。そのようにして、かぶは動物たちのもとをめぐりめぐってうさぎのところにもどってきます。

 私は、この絵本の良さは、うさぎが「かぶをふたつ」見つけたところだと思っています。
 一つは自分が食べて、もう一つをともだちのところに持っていく、というのがとても自然。
 自分が飢えてまでの「しんせつ」ではないところが良い。
 同じくうさぎの出てくる仏教説話で仏さまに食べ物を準備できなかったうさぎが自らを提供すべく炎の中に身を投じる話があるけれど、これは、参考にしたくない。

自分が親になり、子供たちの教育にはいつも悩んでいます。
特に「正義」とか「優しさ」とかのありかたを子供たちに示すのが難しい、とつくづく思います。

情けは人のためならず。
この絵本の眼目は、多分、それ。
おともだちに しんせつにすると じぶんもしんせつにしてもらえるよ。
でも、これを口にしたとたん、なんだか気持ちが白けてしまう。
無償の純粋なやさしさこそが、尊い、とどこかで思っているから。

しかし、無垢な優しさは尊いけれど、現実の社会においては、優しさが無条件で善であるとは限らない。
「優しい人」は、時に「優柔不断の人」となるときがある。
「パンのどちら側にバターが塗られるか」は英語の慣用句だけれど、「バターの塗られない側」の人に気を取られるあまり、「どちらにも塗らない」という選択肢を取ってしまう場合がある。
真に優しくあろうとするならば、「パンの両側にバターを塗る方法を考える」賢さとそれを実行する強さが必要。

それに、見返りを求めることが悪いわけではない。むしろ、現在では「利他」こそが「自利」につながるのだから、と積極的に「利他」を推奨する風潮がある。

コロナ禍を経験し、また、世界的な気候災害の発生や動植物の絶滅など地球環境破壊を目前に多くの有識者がその解決策として人々が人類だけでなく自然環境も含めた「利他」を意識した行動をとるべきであることを説いています。
私も、概ね賛成ではありますが、「利他」すなわち「優しさ」を強要するのではなく、無理なく行動できる環境かどうかも考えなければならない、とも思っています。
うさぎが、かぶを一つしかみつけられなかったのに、それを半分ろばにわたせ、となったら興覚めですから。

こんなことをつらつらと考えていると、こどもたちに「おともだちにやさしくしましょう」などと軽々に言ってよいものか、分からなくなってくるのです。
かといって、親が黙っていても自然と身につくものなのか・・・。親の生き方で示せ、という方もいますが、あいにくそんな立派な背中は持ってない。
 仕方がないから本を読んで学んでちょうだい、と本頼み。
おすすめ本を本棚に並べているのですが。。。食いつきが今一つ、なのです。やれやれ。