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読書感想文『るん(笑)/酉島伝法』(記録 2021/04/20)

読了。オタクが書きたいものを書くために上手くやった作品だなあという印象。なかなか良作だったので長々と感想を記す。当たり前だけどネタバレあるよ。

あらすじとして「スピリチュアル(疑似科学)とサイエンス(科学)の立ち位置が逆転した世界の歪を描くSFホラー」というテイになってはいるが、逆転というほど根幹を揺さぶるような描かれ方はしておらず、むしろ「かつてサイエンスが隆盛していた世界にスピリチュアルが闖入し、そのまま強引に市民権を得た世界の日常」と、根幹の逆転ではなくifへの地続きと言った方が適切なように思える。とはいえ疑似科学の成り立ち自体が科学へのカウンターという面が大きく、完全にサイエンスの市民権がない世界ではレゾンデートルが成立しないためこの点は致し方なく思う。後述するがキャッチフレーズも完全に間違いではないため、どちらかといえば宣伝の問題か。

以下、
「スピリチュアル」=『るん(笑)』の世界で科学の代替として用いられる行為の総称
「サイエンス」=スピリチュアルの対義語。『るん(笑)』の世界でスピリチュアルにより追いやられたもの
「疑似科学」=スピリチュアルのモデルとなった、現実に存在する科学的エビデンスがあるとは言い難い代替医療行為(オブラート分厚っ)
「科学」=現実において今現在正しいと信じられており、私も正しいと信じている知識や技術の集積、バケガクなどの総称
として使い分ける。

作品の恐怖の根幹となるスピリチュアル的行為は正直言ってあまり綺麗にはできていないと感じた。環境破壊による牡蠣の異常繁殖を『龍』と表現するのは斬新で面白いが、基本は「手かざし」「言霊」「血液型占い」など有名かつ無関係な疑似科学を無節操に繋げ、疑似科学にありがちな「サイエンスの放棄による弊害の言い換え」も様々な疑似科学からいい感じの単語を持ってきて繋げた、悪く言えば「スピ界のスパロボ」と言えるような無節操かつロジックの見出せないものとなっている。暇さえあればフラットアースのドキュメンタリーを観てゲラゲラ笑う疑似科学オタクの私としては目を見張るような斬新さを味わえる出来には仕上がっていなかった。

しかしギミックに斬新さがない分足元を崩す丁寧さは抜群であり、三章仕立ての短編集であることをこれでもかと活かした巧みな構築になっている。「理由なき存在位階への執着」と「それに伴う隔離」を大テーマと置き、短編ごとに理想的な角度から世界を切り拓くことで難解なテーマを手に取りやすく加工した手腕がこの作品最大の魅力と言えよう。

一本目の「三十八度通り」はサイエンスを失った世界の息苦しさをつぶさに描写し蔓延する病に苦しむ主人公を通して「今を生きる世代」を描く。
第一章にして全体としては最も特殊な構造となっており、メインギミックと言っていい「忌み言葉」の描写がほぼ行われない。代わりに「スピリチュアル的選民思想」「スピリチュアルに疲れ病んだ人間」の息苦しさが思う存分描かれており、「変化があり人が病む」のではなく「病んだ人の目から変化を追う」逆転構造は単純ながらフックとして十分だ。
「スピリチュアル的選民思想」を強く描いた本章では、三章立ての中で唯一「選ばれなかった側」の目線を取っている。何をやっても上手くいかず、AB型というだけで不出来な人間として扱われる主人公が抱く厭世感とスピリチュアルへの不信はある種の「一歩引いた目線」となり、読者の足並みを作品に上手く合わせてくれる。
個人的にこの章で最も好きな部分は全三章の中で最も拝金主義に塗れている点だ。
あれやこれやと理由をつけて「○○式」を開かせようとする結婚式場、不必要なセミナー、サイエンスの薬品を非合法な価格で売りつけるヤクザイシ。
彼らが主人公を無用に追い込む理由は突き詰めれば「カネ」の一点に集約できる。疑似科学が本質に孕むグロテスクさを読者に叩きつけると同時に、この世界がこうまでこうなった理由に特別な悪の枢軸はなく、過剰な善意に塗れた世界の中で誰もが少しだけ得をしようとした結果なのだろうという厭な想像を加速させてくれる。三章の中で最も異質で、だからこそ出だしに置かれる理由のある章だ。

二本目の「千羽びらき」はサイエンスを知る親世代を通じて世界観の解体を行い「かつての世界と失われたもの」を描く。表題である「るん(笑)」がこの章のキーとなる単語ということもあり、ストーリー構成や「スピリチュアルが介入したことで変化していく言語感覚」の描写にとにかく気合が入っている。
本章のキーとなるのは「隔離された言葉」である。「疒」を孕む病んだ言葉は実態を問わず切り取られ、やがて忌み言葉すら忌み言葉として隔離されていき、良いとされる「言霊」はどんなに無理をしてでも取り込もうとする。隔離された病理が言語へと転移し蝕んでいく描写はやりすぎ感もあるが、やりすぎだからこそ「終末医療と疑似科学の対決」を戯画的に強く訴えてくる。
個人的に最も好きな章で、特に主人公の年齢をあの手この手で「70代前半くらいなのかなあ」と思わせるように隠して、最後の最後に想定の10歳下と一発食らわせる構築が見事で痛快に思えた。「人間50年」時代への回帰が読者が思ったより順調に進んでおり、誰もそれに気づいていない違和感、どこか遠い未来の話と思えたスピリチュアル的世界観が一気に詰め寄ってくる恐怖はこの題材ならではの手触りで、さりげない描写ながら悼ましさとホラーを感じさせる。

三本目の「猫の舌と宇宙耳」はこれまでの集大成と言え、変化しきった世界に生まれ、変化を当たり前と捉えてしまう子供達の世界から「行き着くところまで行った変化の末」へと切り込んでいる。
隔離された人間の苦しみを描く一章、無意味な隔離をする側に回らされる苦しみを描く二章と来れば、三章のテーマは「隔離されきった世界で生きる苦しみ」、いやさ「苦しみを苦しみとすら認識できない終末世界」だ。
意味不明なスピリチュアルに曝され続けた子供の肉体は鼻すら効かないほどに適応してしまい、良い言葉だけを残そうとした結果言語は乱れに乱れ、過去を踏み躙り続けた世界の技術は衰退し、人類が月に行くと想像すらできないほど弱りきってしまった。
痩せ細った自らを、痩せ細った世界を当たり前と認識し、たかがオセロを「こんなに面白いゲームはない!」と夢中になって遊ぶ子供達の姿の悲痛さは読者の心を強く掴んで離さない。
あらゆる厄——死から隔離された子供達は「命」や「人間」、「他社の実存」すら正しく認識できなくなり、架空の友達と遊ぶようになったり、ついには目の前にいる人が自分達の友達かどうかも判別できなくなってしまう。不安定に揺らぐ認識は歪で幼稚な「隔離された」言語、前二章で頻発した病理による幻想描写と重なり合い、何が正しいのかもわからない真実を覆い隠された世界を表現している。
ここは個人的に気になったポイントだが、掴んだ心を離さず「ああ、この世界は病んでいるのだなあ」と読者に思わせるだけ思わせて終わる作品のオチは、確かに疑似科学モチーフのディストピア作品としてはこの上ない決着と言える。しかし疑似科学に疎く「『るん(笑)』の世界を腐らせた悪の枢軸があるのかもしれない」と考える読者には少し物足りないかもしれない。スッキリするオチがつく作品でないのは最初から間違いないので、だったらもう少し「わかりやすくスッキリしない」オチを用意しても良かった気がする。

三章を通して大きな時系列は真っ直ぐにしか進んでおらず本質としては単純だが、章立てを通してキャラクターの目線がずれていく構造や、時間感覚すら曖昧になった病んだ世界と描写から、何か大きなトリックに引っかかったような感覚を覚えられ、読後の満足感はかなり高い。私も短編書きなので、「作品を置く順序すら作品構成の一端とし、ストーリーテリングに組み込む」手法は取り入れていきたい。

何よりこの作品で最も目を見張るべきポイントは、読後のインタラクティブな体験にある。

スピリチュアルに傾倒した人々の愚かな振る舞いを、サイエンスの領分を侵すスピリチュアルに苦しむ主人公達の呻きを存分に浴び、読み終わった読者はこう思うはずだ。「この人達は馬鹿だなあ、根拠のあるサイエンスを信じていればこんなに苦しまなくていいのに」と。

戯画化され、愚かに、悪意たっぷりに描かれたスピリチュアルを経て読者が自然と辿り着く「既存の公理は人を苦しめるだけと考え」「マジョリティを愚かな思考停止と冷笑し」「人々から後ろ指を指される手法をソリューションと主張する」態度。これは紛れもなく現実における科学と疑似科学の構図をサイエンスとスピリチュアルに置き換え、その上で逆転させたものである。

作品のキャッチコピーである「科学と疑似科学の逆転」は作中世界にのみ向けられたものではない。『るん(笑)』の孤独な世界に迷い込み、感性を揺るがされた読者がマイノリティ側に追いやられる恐怖。これこそが『るん(笑)』の真髄である。

もちろん作中のスピリチュアルは現実の疑似科学より無根拠で、無意味で、人を苦しめ、生活を支配するものとして戯画化されているため、この作品が疑似科学のプロパガンダ的な意味を持ち最終的にスピリチュアルと科学、サイエンスと疑似科学がイコール対応することはまずもってない。それでも、疑似科学批判の作品を読んでいたはずなのに、最終的に疑似科学に——作中のスピリチュアルに「寄り添われる」ような感覚は本当に恐ろしく、疑似科学モチーフでなければ味わえず、『るん(笑)』ならではの読書体験だと言える。

また、これは個人的に感心した点だが、スピリチュアルにより破綻した世界を描く上で必須のマクガフィンである「スピリチュアルにより失われたサイエンス、現実世界のみが持つ豊かな文化の象徴」が「猫」なのがよくできている。

技術、娯楽、自然など、深刻、かつ作品でもスピリチュアルが破壊したものとしてたびたび登場するエレメントではなく、可愛いだけで何の役にも立たない猫を軸に据えたのは「合理のサイエンス、人情のスピリチュアル」のパブリックイメージと相反しており洒落が効いている。しかも断絶の原因も自然破壊や疫病の蔓延ではなく「無根拠なスピリチュアルで害獣認定され人里から追放された」と馬鹿馬鹿しくもマクガフィンとして無意味に、説教臭さを持たずにまとまっているのが面白い。その上で猫が好きな人には「家族との断絶」にも等しい深刻な問題として映ると、作品のフックとしても気の利いた構造になっているのがスマートだ。各章の主人公達は猫との離別を味わい猫を懐かしむ共通点を持ち、混迷の世界で猫だけは「猫好きはまだまともな感性を持つので信用してよし」と常に読者を導く松明となってくれる。インターネットミーム「お猫様」の普及で過剰に猫の評価が上がっている昨今ならではの説得力を持つ上手い手だ(私はだいたいの有機生命体が嫌いなので言い方に棘がある)。

総じて斬新ながらバランス感覚に優れており、作者が疑似科学周りの人間の愚かさが大好きで恐ろしく思っているのが伝わってくる良作だった。バランス感覚ゆえ小粒にまとまったきらいはあり何度も読み返す感じの作品ではないが、「ワンアイデアを膨らませ手堅くまとめる」手法とトレードオフの読後感なので致し方なし。

しかし『るん(笑)』を読んだ後だとお隣の国がヤードポンド法なんてアホな単位を使っているのがむしろ怖くなってくるな。信仰なきスピリチュアルだろアレ。

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