らすとてちん

 東京医大の入学試験で、女子受験生の点数を減点調整して女子の入学者数を削っていたということが明らかになり、改めてこの国の女性差別の現実があからさまになりました。この件についてツイッターでは「#私たちは女性差別に怒っていい」などのタグで数多くのツイートが投稿され、「実際にこんな差別を受けた」とか「こんな現実がある」など、怒りの声が雪崩を打ったように世に放たれました。

 そんな中で多く見られたのが「結婚や出産をした時に仕事をやめなければならない」「やめるのが当たり前」という前提がまずあり、そしてそういう社会前提がすでにあるのに「女は結婚や出産で仕事をやめてしまうからダメだ」と理由をつけて就業や合格に格差をつけるという、マッチポンプとも言える理不尽な現実を訴える声でした。

 そのような訴えをいくつも目にしているうちに、ふと思い出したことがあります。それはちょうど10年ほど以前、2007年10月から翌年3月までNHKで放送されていた朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の最終回の「オチ」です。

 ご覧になっていた方なら話はわかりやすいのですが、見ていない人には何が何やらわからないかと思いますので一応ウィキのページを貼っておきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ちりとてちん_(テレビドラマ)

 この「ちりとてちん」、当時自分はかなりハマりこみ、毎日毎日視聴するのをとても楽しみにしており、自分が人生で見てきた数多くのドラマの中でも3本の指に入るような高い評価のドラマでした。

 最終回を迎えるまでは。

 そう、最終回を迎えるラス前の回の最後に、自身の妊娠が発覚した主人公の若狭が突然

「私、落語家をやめる。落語家をやめておかあちゃんみたいに(要は専業主婦・母に)なる」

と宣言して周囲を驚かせたのです。びっくりしました。

ドラマとして半年150回にわたり、主人公が数々の紆余曲折を経て、へっぽこな人生だったところからようやく一人前の噺家になろうとする姿を描いてきて、最後の2回で

「やっぱ、やーめた」

と? なんで???

さすがに自分はその主人公若狭の言葉は一瞬の気の迷いみたいなもので、最終回では結局周囲に説得されて前言を撤回し噺家の道に戻るものだと思って視聴に臨んだわけですが、なんと、なんと、なんということか、最終回では主人公のその言葉を皆が納得して受け入れ、噺家をやめて赤ちゃんを抱いて「おかあちゃん」になってめでたしめでたしと「完」を迎えてしまったのでした。

 その最終回で、半年間楽しみに見ていた自身の思いに氷入りの冷水をぶっかけられたようなショックを受け、次に怒りがふつふつと湧き上がってきました。まさかNHKの方から「結婚・妊娠した主人公が仕事(噺家)を続けるような人生はよろしくないからやめさせろ」という指示が脚本家にあったのか? とまで邪推してしまったのですが、まあそんなことはないでしょう。いずれにしろ、とてもじゃないが我慢ができなくなって、自身で「こうあるべきだ」という最終回のシナリオを一気呵成に書いてしまいました。それが以下の拙文です。


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 ひぐらし亭の楽屋。
 突然の引退宣言、そして「おかあちゃんみたいになるんや」と言い切った若狭に、一同は言葉を失っている。
 沈黙を破ったのは糸子であった。
「喜代美、あんたが『おかあちゃんみたいになるんや』って言うてくれたんはうれしい。でもな、それ以上に寂しいわ」
糸子の言葉に驚く喜代美。
「寂しいて……おかあちゃん」
糸子はきっぱりと言った。
「喜代美、あんたがあの時『おかあちゃんみたいになりたくない』って言うたんは間違うてない。だって、あんたは私じゃないんやから」
虚をつかれる喜代美。
「なあ、喜代美、おかあちゃんみたいになりたいってのはええ。でもな、だったら、欲張って喜代美なりの「おかあちゃん」になりぃ。落語もやる、おかあちゃんもやる、それが喜代美の「おかあちゃん」やで」
「私の……おかあちゃん」
「そや、あんたが小浜を出て13年、あんたはおかあちゃんの知らんぎょうさんのことを経験して、ぎょうさんのことを学んだはずや。それが「落語」やろ? それを捨てるんか? そんなもんやったんか? もっと落語を、人生ってものを大事にしい」
黙って糸子の話を聞いていた草原が口を開いた。
「そうや、若狭。俺は今日のお前の愛宕山を聴いて、ほんまにええと思ったで。お前が13年間落語に打ち込んで来た……そう、毎日塗り重ねてきたお前の人生がよう噺になっとったわ。でな、俺は思った。これは師匠徒然亭草若の愛宕山じゃない。もう徒然亭若狭の愛宕山や…て」
「そんなっ草原兄さん、私の愛宕山は師匠の落語を受け継いだもので……」
「ええんや、若狭。それでええんや」
四草が言葉を継ぐ。
「落語は何百年もの間、人から人へと伝えられて来たもんや。お前もその流れの中におる。でもな、人から人へと伝えられたというても、全くおんなじコピーが伝わって来たわけやない。その時代に合わせて、またその演じる人間の個性や人生観などを反映させて、少しずつ工夫したものが、伝わって来たんや。だからお前の愛宕山は草若師匠の愛宕山と違っていい」
草原がうなづく。
「そうや、今日のお前の愛宕山を聴いて一番喜ぶのは、草若師匠やで」
四草が続ける。
「でな、若狭。そういう流れの中で、今のお前の落語がある。その流れをお前のところで止めてしまうというんか? 草若師匠が、草原兄さんが、草々兄さんが、小草若兄さんは……まあ何にも教えてないからどうでもいいわ、そして俺が、それだけじゃあない、別の一門の師匠方やら、磯七さんやら熊さんやら……数えきれんほどの人の教えが今のお前の落語になっている。そのお前の落語……お前の創作落語を、お前の愛宕山を、お前のちりとてちんを、今度はお前が次の人に伝えて行く義務があるんやないか?」
小草若が言う。
「喜代美ちゃんのおかげで、俺もどうにか俺らしい落語ってのが見えて来た気がするんや。喜代美ちゃんも喜代美ちゃんの落語、もっともっと、極めてって欲しいな。まだまだこれから、どんな喜代美ちゃんの落語になっていくのか、楽しみじゃないか」
順子が喜代美の肩をたたいた。
「舞台の真ん中でスポットライトを浴びる人間だけがヒロインじゃないってことを知らないでスポットライトを浴びているのと、知りながらスポットライトを浴びるのは、全然違うんやで。あんたは、きちんとそれが分かったんや。堂々と胸はってスポットライト浴びぃ」
黙って聞いていた草々が最後にぽつりと言う。
「そや。落語をやめるなんて言ったら……離婚するで」

若狭は引退を撤回する。

次第に大きくなっていくお腹をかかえつつも、高座に上がり続ける若狭。
大きなお腹をネタにし、また、噺の途中で腹をける赤子までもアドリブで笑いをとり、高座をこなしていく。
そして、臨月のある日の高座。「ちりとてちん」の最後のセリフ「へえ、ちょうど、豆腐の腐ったような……」を口にしたところで陣痛が始まる。騒然とする客席。草々が「救急車呼べ!! 救急車」と叫ぶ。
「何言うてんの、歩いて行きます、歩いて」
痛みをこらえながら客席に礼をし、舞台を降りる若狭。

(産院のシーンはまあ本編と同じでいいです)

後日、「ひぐらし亭」の楽屋。
着物姿の若狭が赤ん坊(落子?)を抱いてあやしている。落子は機嫌が悪くてぐずっている。
「若狭、そろそろ出番やで」
草々が声をかける。
「あ、はい」
若狭が落子を楽屋の布団の上に置こうとすると、落子は泣き始めてしまう。
「あーほらほら、おかあちゃん、今から高座やからね。もちょっと待っとってね」
出囃子が鳴り始め、焦る若狭。草々が声をかける。
「ああ、もうええよ。俺が見とくから」
「すみません。では……」
舞台に向かおうとする若狭。しかし泣き続ける落子が気になる。
「あ~あ~何やってんや、草々」
入って来たのは尊建と柳眉。柳眉が落子を抱き上げ「ほらほら~柳眉おじさんやで~」とあやすと、一瞬泣き止んだ落子、次の瞬間もっと大きな声で泣き出す。「だめだめそんなんじゃ」と今度は尊建が落子を抱き上げ「ほらほら~鼻毛兄ちゃんやで~」とあやす。不思議と泣き止む落子。
「なんかお前には懐いてるんだよなあ」
苦笑する草々と柳眉。
そんな様子を見て若狭は安心の笑みを浮かべ、きりりと表情を引き締めると、舞台へ出て行く。
「ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます……」

楽屋。尊建に抱かれて泣き止みはしたもののぐずり気味の落子、「ピシリ」と小拍子が響くとふっと舞台の方を向く。若狭の噺声が聞こえて来る。
「たいこもち、男芸者と……」
この日の演目は「愛宕山」だった。ぐずりがおさまり、舞台から聞こえて来る若狭の声に聞き入っているような落子。

「……あたりはれんげたんぽぽの花盛り……」

落子の顔に笑みが浮かぶ。

「……やかましう言うてやって来た、その道中の陽気なことぉ……」

満面の笑みを浮かべる落子。

正太郎の声がかぶさる。

「お前は、ぎょうさん、笑え」

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