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亀成園が自給率を高めてきたわけ

創作大賞に応募してみるかんじで、長文エッセイ書きおろしてみます。
自分の中で長年言葉にしたかったことをこの機会にね。

自然養鶏学習農園&古民家ゲストハウスとして生きている我が家は「亀成園(かめなりえん)」という屋号を持ち、小さな農園を開業してから数年かけて自給率7割を実現させ、里山に心地の良い居場所を作る暮らしを実践しています。そうして2016年に移住して以来、家族6人なんとか8年を生き延びてきました。
人生は遊びであり実験であるという感覚を磨きながら、川のそばで生き物に囲まれてたくましく育つことを自分に課してきました。4人の子どもたちは完全に巻き込まれです。

気楽に呑気そうに暮らしているのですが、自給率を高めて生きることを決めたのは案外大きな憂慮があったからなのです。どんな状況になっても生きる力を付けておきたいなとの直観に従って人生が進んでいます。天変地異があろうが社会の状況が変わろうが、できるだけ早く状況を受入れて、自分の力で生きることにしがみつこうと決めています。何があっても文句たれすぎずにできることを実行していくには、無数の体験と選択の機会が必要なことを感じているのです。とはいえ、生きていくための行動はほとんど亀成園の園主である夫任せなのですけれどね。奥様(私)は裏ボスです。脱サラして田舎で農園なんて聞くとほとんどの人は「旦那さんはそうしたがる人多いけれど、よく奥さんが反対されませんでしたね」と驚かれます。なんのなんの、生きたい意欲はむしろ私にあるのです。

学生時代に初めて山歩きとキャンプに参加したとき、自分の非力さと無知を思い知りました。手早く火をおこすこともちょっとした食べ物を見つけることもできず、体力もなく木の見分けももちろんわからず、山の中で何も知らない自分と向き合って、軽く絶望したのです。
その後の学生時代にアウトドアに没頭していたのは、強烈な反省をふまえてたくましく賢く生き延びる力を身に付けたかったからです。何があっても大丈夫と自分を信じるには、街の中に居ては不安でした。自転車旅をしながら野宿で何週間も過ごした時間は、動いて食べて眠ってまた動く、とてもシンプルな過ごし方で、これができればどんな場所でも生きていけるかもしれないという身体の感覚を磨いてくれました。ほとんど舗装路を走るし、食料調達は買い物で済ますので、文明の力と社会に頼ってはいるのですが、どこまで頼らずに生き延びれるかという意識はありました。山道で運んでいる水がなくなったときや、通るはずの道が崩壊していたときは、今こそ力が試されるのだとテンションが上がったものです。仲間の中にはもっとうんとたくましい人もいて、他者のサバイバル力にいつも刺激されていました。私は国内ばかりの自転車旅でしたが、47都道府県いろいろな場所に行き、地形の違いや植生の違いを肌で感じたことが今の興味にもつながっています。

社会人となり大都会での暮らしも経験しました。便利さの中心で社会人としてクリエイティブな生き方をしていくこともできたのです。けれど街中のど真ん中では、その地に対してどうにも自分が主体的に居る感覚がなく、いつまで経ってもお客さんに過ぎない気がありました。ここに私がいなくてもどうってことないと虚無感があると、そんな暮らしは続かなかったです。
自立して生きていく段階で必要なのは経済力だけでは物足りないなと感じたのです。まして子供が居たなら尚更です。経済力が不要とはもう言いませんが、それよりも確かな力が欲しかったのです。結婚や出産が早かったことも自給的生き方を追求するための土台として当たり前の選択だったのかもしれません。街に執着する気がないのなら、移動する単位は一人じゃない方が助け合える。子どもによって磨かれる力もとてつもなくある。当時はそんな風に打算的に考えていたわけではありませんが、結婚相手に備わっていた大きな力は鈍さとしぶとさでした。先の心配をするより目の前のできることを次々こなせる彼の力なくしては、私の挑戦は成り立ちませんでした。
子どもが生まれてから学んだことも限りなくあります。身体の使い方や心の鍛え方、社会とのつながり方や食べ物への考え方などなど、守り育てる大切なものがいるから真剣に学び、実践し、検証しています。自分の人生と同じく育児も実験ですからね。

穀物と野菜類とタンパク質があって、刃物と火と水があればとりあえず生きていけます。シンプルに食べられるものを知っておき、加工しての食べ方を知って実践しておく。田んぼからお茶碗のお米を得るのは容易ではありませんが、それができることを経験しておくのとそうでないのは恐ろしい程の差があります。知識と実践を繰り返してやっと、少しは安心して生きていけるのです。この先世界が当たり前にうねる中で、どんな未曽有の災害があろうとも、あっけなく経済が破綻しようとも、食べる知恵と力があればきっと前向きに生きていけるのです。

そんな感覚を磨いているのが亀成園としての暮らしです。
100羽程度の鶏がいて、目の前に自然農に近い畑があり、頑張れば管理できるくらいの田んぼもあり、鹿を主とした狩猟をしています。
ほとんどのことは園主である夫が行っていることで、私はおこぼれにあずかっているに過ぎないこともまたわかっています。その無力さも噛みしめながらの暮らしです。私に何ができるだろうか、この自問が思考に効くのです。

種をまいて育てて収穫する。
まかないものも見つけて採集する。
木を植えて育てて切る。

衣食住のうちのとりあえず食に日々向き合っていると、他の知恵も身に付くことがあります。食べるためではない植物は何のためにあるのか。身勝手な考えのようですが、先人がつきあってきた植物と自分がつながるには、疑問を抱いて立ち止まってみることが私には不可欠です。薬草の効用を学び、実験し(時々とんでもない失敗をするので、実践というより実験)ています。犬を伴っての日々の散歩をほぼ欠かさずに行っていると、季節の変化に気づきやすくなり、疑問の種も増えます。
記憶力の衰えも激しいし、元々根性のある方ではないので、口でいうほどたいした知恵もないのですけどね。それでもかつての私が知らなかった、気付きもしなかった自然とのつながり方はしてきています。外を少し歩くと食べるものを見つけることができるというのは言い過ぎではないです。私が身体の小さな野ネズミならば、もう十分生き延びていくことができますよ。

ヒトの身で自給的暮らしを満足に営むのはまあ並大抵ではないなと人一倍感じています。育てたり集めたりしても食料はすぐに尽きるし、何もしなくても十分食べられるなんてことはありません。まだまだ社会の流通システムのお世話にならずには、呑気に笑って生きていくことはできません。
それでも、全てのヒトが社会の流通システムは当たり前であると勘違いして過ごしていたら、有事の時に生き延びていけるのでしょうか。今あるものに最大感謝しつつ、自分の生きていく力をたくましくして、あわよくば人の役に立てるかもしれないほどの強さがほしいです。田んぼを大きくするとか芋類をたくさん植えて保管しておくとかして、直接困った人の腹持ちになるという野望もなくはないですが、それだとすぐに底を尽きてしまいます。それよりも生き延びる知恵と経験、それに種があれば他者の地力を上げることができます。「魚をあげるより竿と技術を」とはよく言ったもので、そういえば夫が狩猟と解体の技を教えてもらった時も、実践ありきでした。生き延びる知恵を代々授けていく人のつながりがまだ残っているのです。
今は検索すればなんでも調べられるすごい時代ですが、スキルと種は調べても出てきません。身に付け、受け継いでいくしかないのです。

自給的暮らしを目指した頃はまずは自分が生き延びるために必死だったので、そんな考え方は利己的かなと思ったこともありました。社会の枠組みから外れるような暮らし方をして、稼げる身体があるのに社会に役立てることなく隠遁して、何があっても自分が無事であればいいなんて、非国民かしらとまでは思わなかったけれど、身勝手ではあるなとの自覚はありました。草や虫を敵としない自然農の在り方も、草刈りをきちんとして収量を上げるために力を尽くす、村社会や従来農業の在り方とはまるで異なるので、怪訝な目で見られたことはもちろんあります。それに関しても、人生は実験なので、やってみなくちゃわからないのでちょっと実験させてくださいませんか、と柔らかく頑固でいます。全く反論も反発もしないけれど改めもしない感じで、それぞれあるがままですね。お互いをゆるく尊重していくと助け合うこともできるので、ちょっと変わったことをしようとすればするほど、物腰は柔らかでいるほうが都合がいいなということも学びました。あくまで勝手なものですが、なんとか実験を続けさせてほしいのです。
そうして自給的暮らしをまずは自分たちのために挑戦していくと、社会の流れにそんなに大きく逆らっているわけでもないなと長い時間をかけて気付くようになりました。田畑からの実りを得るためには何よりも土地が要ります。自分が使っていい土地に感謝して、植物を絶やさずにいる暮らし方は、里山の荒廃を防ぐことにつながります。国土荒廃を防ぐなんていう大層な意識はなく、ただ自分のために大地とつながっていたいだけで、ご縁のあった土地に感謝しかないのですが、国土への意識は高まりました。豊かな山が残っていることの有難さにもより深く感謝するようになりましたし、子孫に残したい姿も日々描いています。
そして作物が育っている光景を見て、安心する通りすがりの他者がいるのも実際のことなのです。何も植物がなくカラカラに荒れていく土地や管理できなくなって太陽光パネルにおおわれてしまった土地に遭遇しての不安感とは逆の安心感があるのは、命が育つ土地なのでしょうか。

ここ50年のうちに、ものすごい勢いで日本の田舎から都会への人口流入があり、過疎地域はどんどん消滅待ったなしになっています。流通システムだけでなく、道もインフラも田んぼの水路も、人は余程の適正者でない限りぽつんと生きることは難しいので、里山が残っていくためには人が消えていかないことが不可欠です。ものすごく沢山の人でなくてもいいけれど、土地とつながって、協力し合える元気な人たちが残っていかなくちゃいけません。流出程の勢いはなくても逆流入がなければ消えてしまう集落は山ほどあります。どうすれば里山に魅力と可能性を感じる人が増えるのか、他に大きな解決策があるかもしれませんが、私にできることは、楽しく生き延びて発信を絶やさないことなのだと感じています。できることが少ないのでそこに集約するだけなのですけどね。

元気な人々が自立しながらも助け合って暮らす100年前の農村みたいな場所があちこちにあれば、また縁のある人を受入れることができます。先人の入植者みたいな存在が地域でそこそこうまく立ち回っていれば、次の入植者みたいな生き方をする人はずいぶん楽です。田畑を引き継ぐにも開墾するにも、従来のやり方に囚われずにかつ近隣の人々に必要以上に怖がられずにやっていくには、「前に来たあの人もなんかこんなんやな」と緩衝材があると心強いです。受け入れる側の人々の怖さを軽減することができます。
亀成園が移住した地域にも、先に信念持ってチャレンジしている人がいました。本当にいろいろな面で助かりましたし、現在も助け合っています。そして亀成園の後に入植みたいにしてきた人たちとも、濃くも浅くも助け合うことができています。つるむわけでもなく自立しながら、困ったときは相談できるし、成長を喜び合える関係性がめちゃくちゃ気に入っています。

自分のために自給率を高める暮らしは突拍子もないチャレンジをしているようで、実は大きくつながっているのだと実感できたのはつい最近になってからなのですが、私たちの自給的暮らし探求も世の中の大きな流れの中にちゃっかりあったのです。食糧危機や経済不安がこんなに急速に進むとは思っちゃいませんでした。コミュニティが必要だとの意識の高まりにも乗っかろうと思っていたわけではありません。宗教観の見直しもこれから大きくなっていくのかもしれません。流行に乗ることは少ないと思っていたけれど、そんなに独自性があるわけでもないなと自分を知ることは、私には必要なことだったのかもしれません。
ただ自分が安心して生きるために夫の百姓技術を高めてもらってきたわけですが、2020年以降は自然体験のできる古民家ゲストハウスとして人々に開放しているおかげで、都会の人たちとも話をする機会がよくあります。もちろん山奥までわざわざ足を運ぶ人なので、街が大好きな多くの人とは異なるのですが、若い人の漠然とした不安感と亀成園の自給暮らしへの挑戦はマッチすることが多いです。発信が届いてつながってくれるのです。
一歩踏み出して、命を肌で感じる体験として鶏解体をした若い人が、たくましく子育てをしていってくれる未来につながるでしょうか。もちろん選択肢はその人のものですが、山で子供も一緒にたくましく生きるのが楽しそうだなと感じてくれたら本望です。身勝手な暮らしのはずだったのに、次世代を直接でも応援できる立場にいるとは、不思議な粋な巡り合わせですね。

食糧自給とエネルギー自給に楽しみ方の自給
自分の力ではなく受け取っているに過ぎませんが、食料不安とエネルギー不安と遊び迷子になるのではなく、安心して楽しくなにがあっても生きていくには、自給率を高める意識と実験はあるべき道だったのだと感じています。気を抜けば獣害もあるし体力がないこともあるし、いつまでも大風呂敷は広げられないのかもしれませんが、生き延びれないことはないだろうとの自信は太くなるばかりです。
自信ゼロの絶望から、なんとかなるの境地まで、四半世紀かかりました。
その間に経験した一喜一憂が今を作っています。
到底私だけではなんにもできなかったし、頼ってばかりの人生ですが、最近たくましい女性たちが身近になったこともあり、私ももう少し根性磨く気分が高まっています。有難い巡り合わせですね。
自給率7割の亀成園は、つつましさと欲張りのちょうどいいバランスで、これからも挑戦を重ねていくのです。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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