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護られている確信

そんなに自尊心が高いほうではないと思うけれど、唯一胸を張って言えることがある。

それは「わたしは何かに護られている」ということ。

根拠があるとしたら、これまで大きな怪我や事故、病気をしたことがなかったり、結構な危険な状況になっても寸前で引き戻されたりしてきたからだろう。

逆に、
すごい成功をして大金持ちになったとか、
宝クジに当たるとか、
寂しさや孤独を感じたことがない訳じゃない。

たくさん悩むし、けっこうネガティブなとこもあるし、傷付くし、疲れるし、泣くこともある。

だけど、心の奥深くで「でも、護られてるから大丈夫」という思いがある。

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新興宗教と知らずにすべてを捨てて宿舎に入ろうとしていた時は、わたしが見失っていた"残される人たち"の視点を与えてくれるような映画を無意識に手にとっていた。
それを観たおかげて、何かがおかしいと気付かされた。
目に見えない何かがわたしを引き戻してくれた実感があった。

司会の仕事をするようになってからも、
時々天の助けが入る。
ふと気になって確認したおかげて、誤りを発見したことが何度かある。
そのまま間違えていたら、今のように仕事はないだろう。

そして今日も!
丸一日インタビュー記事の執筆にあてようと思ってカフェでパソコンを開いていた。
入店してから2時間ほどした頃、スケジュール帳を確認して、まだ司会打ち合わせが決まっていない結婚式があることに気付き、そろそろ予定が埋まってきていたので、
(後でこの担当者に電話をしてスケジュール調整する)と決めた。

次の作業に移ろうとしたのだけれど、何となくこの仕事の事務所からの発注メールを確認した。
すると、そこには"打ち合わせ:5月14日14時30分〜"の文字が!!

一瞬目を疑い、改めて確認。
そして今日が何日か確認。

今日じゃん!!!
しかも、2時間半後!!

よかった!まだ間に合う!!

急いで店を出て帰宅し、着替えて電車に飛び乗ったのは言うまでもないだろう。

信頼で続いていく仕事なだけに、アポイントのすっぽかしはとんでもない事態。
もしあと1時間気付くのが遅かったら、このホテルでの仕事はなくなっていたかもしれない。

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こうした天の助けが入るには、日頃手を抜いた仕事をしていては受け取れないと思っている。
そして、助けられる度に気が引き締まる。

どうやらわたしの神さまは、
ヒヤッとさせてから助けるのが好きみたい。笑

危機を救ってくれること。
挑戦の不安を取り除いてくれること。
危険な人に出会わないこと。

この3つは、わたしが護られてると感じる中心的要素だ。
それ以外にも、何があっても大丈夫という確信もある。何が大丈夫なのかというと、「生きていくこと」そのものに対しての大きな安心。
他にも、最終的に「ま、いっか」となるわたしの性格はこの感覚から作られている気もする。

はっきりとは分からないけれど、
「護られてる」は「生かされてる」にも近い。

まだ生きている必要があるし、
結構やばい時には助けるけど、
どんなストーリーにするかは自分で好きなだけアレンジしなさい!と言われている気がする。

さて、また自由を目の当たりにしてしまった。

#エッセイ #生き方 #cakesコンテスト








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