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「がんばります」の弊害。

ワイは「頑張る」という言葉が好きじゃない。

できれば使いたくないとさえ思う。

なんでか?

それは、

『頑張ります』って都合の良い言葉だと思うから。

なんなら自己満足の極みじゃね?とさえ感じる。


そのように言っちゃえば

⇨頑張ろうとする自分を認めてほしい

⇨責められている今の状況から逃げたい

⇨根拠はないけど頑張ろうとする自分がステキ

こんな感じを受けちゃう。

■ 「頑張る or 頑張らない」は個人の尺度

頑張るって言葉、すっごく抽象的じゃないっすか?

まず”どのように頑張るか”がまったく分からん。

聞いてる側から本人を見た時に

『頑張り足りないんじゃない?』と感じたとしても

本人が『頑張ってます!!』って思い込んでたら

『あ…そう。頑張ってね…』くらいしか言えん。

頑張るって言葉で相手を誤魔化そうとする

とても卑怯な言葉のようにも思っちゃうの。

■ "根拠のない頑張り"ほど無駄

頑張ります・頑張ってますって言われたとて

『じゃあ具体的にどのように頑張るの?』って

問いかけてマトモな答えが返ってこなかったら

言った本人は何も考えていないと思うしかない。

頑張る方法が分かってないのに頑張られると

とんでもない結果になることは、ままある。

結局のところ今より悲惨な結果になることも。


なぜならば、

・頑張る方向性が定まってない※

 →・間違った頑張りに時間と労力使う

 →・結果を出せない

 →・なぜこの結果になったか分からない

 →・※繰り返し

この状態になっちゃうから。

■ 無理をする原因にも

頑張ると言う言葉を多用する人には

真面目で融通の効かない(柔軟性がない)

そんな人が多いようにも思うなぁ。


確かにめっちゃ頑張ろうとすることは分かるけど

それが空回りしていることが多いように思う。

そして本人は

『こんなに頑張っているのに』

『まだまだ頑張りが足りないんだ』

『もっと汗水流して頑張らないと』

って気持ちに陥る。

もう、負のスパイラルですよ。

このマインドだと無理をしすぎるし

周りから無理を強いられる。


そして結果は健康を害してメンタルを壊す。

なんの良い結果も得られずに

こんな社会に恨みつらみを持ってしまうかも。

■ 言語化できない頑張りは意味がない

先にも書いたけど具体的に示すことができなければ

頑張る意味はないとさえ思うのね。

具体的にどんな行動を取りますか?

こう問われたときに言語化できるかどうか。

言語化できて周囲も納得できる説明ができるなら

その頑張りは間違ってないし意味があるでしょう。


だけど言葉にできないのなら意味がないっスね。

自分が取ろうとする行動を言葉にして表せない、

相手に理解できる言葉で説明できない、

それって自分がまず理解できてない証拠っすよ。


考えがまとまってないから言語化できない。

それって語彙力が低いからとかの問題じゃない。

(まぁそれも問題の一部だとは思うけど・・・)

■ 言語化するメリット

言語化できると特典がいくつかあります。

言葉に表すことで

⇨周りから適切な意見・助言を得やすくなる

⇨自分の意識に定着させられる

⇨自分自身で違和感に気づいてアップデートできる

⇨行動に責任が持てて完遂可能性が高まる

ってことです。


『頑張る』を多用している人、

人生うまくいかないと感じている人は

『頑張ります』と言う平易な言葉じゃなく

その具体化ができることがカギかもですぜ。


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