良いならば書く、酔いながら書く
一人旅が好きだ。
「ああ、人生に煮詰まった……」
そう思ったら、旅に出る。行く先はどこでもいい。近場の温泉地でも、駅前のビジネスホテルでも。なんなら、ネットカフェでも。
ただひとつだけ、条件がある。
酒が飲める場所に限る。
なので、宿坊はだめだ。
先般、執筆活動に煮詰まった。それはもう、グツグツ音をたてて煮える三日目のカレーぐらい煮詰まった。もう水分も飛んで、焦げる寸前だ。
「そうだ、京都 行こう」
ふと頭に浮かんだ有名なコピーの通り、私は取材旅行と称して新幹線に乗り、京都へ旅だった。
なにやらとても遠い土地だと思っていた京都は、地元 福岡から、たった三時間ほどで着いた。文庫本を一冊読めるかどうかという時間だ。私は読み終えられなかった。ちなみに読んでいた本のタイトルは「存在の耐えられない軽さ」、とんでもなく字が小さく、老眼が始まったらしい目には辛かった。
私はとんでもない方向音痴なので、京都駅の真ん前にある、駅から徒歩2分のホテルを選んだ。
到着時刻は9時すぎていた。貧乏旅行なので外食はせず、駅弁を夕食にすることにした。
さすが京都駅の駅弁は、はんなりしていた。
鰆の西京焼き、湯葉の炊いたの、ちりめん湯葉ご飯など、京都の味が詰まっている。煮物も上品で素晴らしい。しかし、これだけでは完璧な京都の弁当とは言えない。
完璧な京都には京都の酒、それが必須だ。この日、選んだのは嵐山にある酒蔵の酒だ。関西に足を運ぶ何よりの楽しみは美味い酒、これにつきる。
私は日本酒のつまみには米が最高だと思っている。この駅弁の、ちりめん湯葉ご飯など言うにおよばず。赤飯でも、釜飯でも、コンビニおにぎりでもあう。だが、一番いいのはごま塩をかけた炊きたての白米だ。
素材と、そこから作られる酒があわないはずがない。ワインにはレーズンがあう。ビールにはプレッツェルがあう。もちろん日本酒には米があうのである。
駅弁と日本酒をたっぷり楽しみ、翌日は小説の取材にとカメラを抱えてうろちょろした。晴天に恵まれ、寺社仏閣の紅葉を堪能し、小説を書きたいという気持ちが戻ってきた。
帰りの新幹線で缶ビールを飲みながらプロットを書いた。なかなか良い出来だ。
現在、そのプロットで執筆中なのだが、難産でたびたび筆が止まる。ああ、旅に出たい。
しかし、時間もお金も有限だ。そんなにちょくちょく旅に出る余裕はない。
そんなときには昼食をごま塩おにぎりにして、こそこそと日本酒を飲む。喉から胸の辺りに、やわらかな暖かさがゆるりと広がる。目の前には、大好きな小説執筆という仕事。こっそり昼酒という背徳感、バレても家人に叱られるだけという気楽さ。
小説書きという仕事をしていると、家にいながらにして、これ以上なく美味い酒が飲めるのだ。
執筆に必要な設備費にさせていただきたいです。