メンタルが沈んでしまったときには
鬱だ。頭がぼーっとするし、筋肉が痛むし、だるくて動けないし、なにより生きていることがつらくなった。
とにかく安まねばならない。だが、横になっても上手く眠れず、腰が痛くなるだけ。眠るのは諦めて、能動的に「なにもしない」ということをすることにした。
なにもしないで、ぼーっと天井を眺めていると、胃のあたりのもやもやや、頭をしめつける後悔が少しずつ霧散していくのがわかる。
窓から差し込む朝方の弱い太陽光が眩しくなる頃には、自分のなかに空っぽの部分ができている。とても優しい甘い香り立つ空白。
すると、体が勝手に空白を埋めようとしだす。なにやら雑念が湧き、こんなことしてないで、あれもしなくちゃこれもしなくちゃと焦る気持ちが出る。そんなもやもやを洗い流して、もう一度、空っぽを作る。
空っぽは恐らく『余裕』なのだと思う。生活でいっぱいいっぱいになると出てくるもやもやを受け入れる、緊急避難場所。
『余裕』がいっぱいいっぱいになってしまうと、もやもやが溢れて全身に行き渡って詰まってしまう。
旅に出て山に登り「やっほー」とこだまを呼ぶ。「やっほー」はもやもやを連れて遠くの山に飛んでいき、山が「やっほー」と空っぽになったところに響く。
本を読んで没頭する。ページをめくるごとにもやもやは文字の間に染み込んでいく。ぱらり、とろん。ぱらり、とろん。ぱたんと裏表紙を閉じると空白には、もやもやではなく、本の思い出が光る。
なにもしないをしていると、もやもやは呼気にあわせて天井に上っていく。
ぽこ。
ぽこ。
ぽこ。
海の底に沈んで少しずつ息を吐くように。空っぽになったら、海水を吸って深海魚になる。まだ浅瀬には上れない。無理をしたら破裂してしまうから。
深海魚から変身してクラゲになったら、ふわふわたゆたって、お日様の下に戻ろう。思いきり伸びをして、手足を取りもどして。
執筆に必要な設備費にさせていただきたいです。