皮ふ5
大学生になっても2週間に1度大学病院の皮膚科に通った。
出るクスリは同じ。
病院を変えても医者のアドバイスも処方するクスリもほぼ全く同じ。
それは10年たっても変わらなかった。
医者は、私のクスリの塗り方が足りないから治らないのだといった。
良くなるまで塗り続けてください。指導した通りに塗れば必ず良くなりますから。
どこかで聞いたことのある言葉。
言われた通りにしてみたけど、治らないどころか、悪化することもあった。
言われた通りにして悪化したのに、それを治せるクスリもないし、治してくれる医者もいない。
とても怖くてすごく孤独な闘いになった。
これ以上掻くと中から肉が出てくるんじゃないかというくらい皮ふ組織が壊れていたから、うっかり掻いてしまわないように、家の隅の静かな場所で体育座りをして膝とお腹の間に両腕をしまい込み、手を動かせないようにして、壁の1点を見つめて猛烈な痒みの嵐が去るまで精神力で耐えた。
寝るとうっかり掻いてしまうから、寝ないように夜は座り心地の悪い椅子に座って眠気が出ないようにした。
硬い椅子に姿勢よく座ってぽかんと眺めている深夜番組がおわり、NHKから君が代が流れ、民放からいっせいにツーーという電子音が流れると、滅びた地球に一人だけ生き残ってしまったような取り残された感が私を襲った。そのすきに眠気と痒さがダブルで一気に攻めてきて、うっかり負けそうになる
あとどのくらい悪化するんだろう。いつまで正気でいれるだろう
もう参りました、と降参しそうになる一歩手前、たいてい症状は悪化の底をつき、その後はボールが跳ね返るように急に改善してなんとか生活できるレベルに戻った
このサイクルを何度も繰り返した。
思えば、学生時代の4年間はずっと眠かった
飲んでいたクスリの副作用だ
行き帰りの電車はだいたい爆睡してたし、授業中は本当に眠くて教室の席につくと5分くらいで舟をこいでいた。
一丁前にテニスサークルに入り、合宿や新歓コンパや飲み会やらに出て、合コンにも参加したが、行ってそれなりには楽しかったということと、合コン中に「結婚なんてするもんじゃないよね」という話で妙に盛り上がった年上の男性がいたな、ということ以外、なんだかほとんど詳細が思い出せない。
外出するとかなりの確率でおかしな人を引き寄せた。
毎週同じ時間、同じ駅の同じ場所に立っている人。
私もその時間、その駅のその場所から電車に乗る。
その人は私を見かけると寄ってきて、初めて会ったような顔をして挨拶をし、眉間にしわを寄せて可哀相にといった表情で私を見つめ、一緒の電車に乗ってきて、自分の娘も肌が弱いこと、その娘が近くの道場のエライ先生に手をあててもらったら毛穴からドバドバと何かが出てきてすっかり肌がきれいになって今もその道場に通っていることを、うっすら笑顔で語ってくる。毎回まったく同じ話。そして、自分が降りる駅の近くになると、黒いハンドバックから3つ折りの白いパンフレットを取り出して、よかったら、といって手を振ってかっこよく去っていく。
もしくは、電車の遠い席から私を見つけ、しばらく凝視した後、少し近くの席に移動し、さらにじっくり見た後に、少しうなずくようにして小さい紙切れを取り出し、そこに黒のボールペンで何かを記した後、私が座っている席のすぐ横に来て、「ここ、とにかく行ってみて」と耳打ちして病院らしき場所の名前と電話番号を記したその紙切れを私のバッグに入れ、何事もなかったように電車を降りる人。
駅前に立っていて、困ったことはありませんか、と話しかけてくる知らない人。
これも私の体調が外にわかりやすく表示されている仕業だ。
「病気あり。しかも重症です」と書いたプラカードを持って歩いているようなものだ。
不謹慎だけど、内臓の病気の人がうらやましかった
外から見えないから。
病気というプライベートな事柄なのに、その現れ方の形態上、病気の程度からその日の調子まで、どうにも隠せない。慢性病を持っている人は少なくないのに、しかも、慢性病だっていろいろあるのに、よりによって私はみんなに見せてまわるタイプのものにかかってしまった
たった一度の過ちでずっと余分な苦労をする羽目になるなんて。
いや、振り返ってみればあの過ちのおかげでよかったこともあった。
「先生」と呼ばれる人の言うことであっても盲目的に信じるのは危険なことが身に染みて分かったから、金輪際詐欺に合わないだろうこと。
あの女医に負けないという負の気持ちがなければ湧くことがなかっただろう馬鹿力と少しの運で志望校に合格できたこと。