山背大兄王は逃亡した
作成中の長大レポート、歌の翼に~聖徳太子の歌亀井水の歌~の参考記事として挿入するために、再編集しました。
日本書紀を書かれてあるままに読むと、なんか奇妙です。著述者は、あえて奇妙なまま、解釈されることを望んだのだとしたら、すこぶるエキサイティングなテキストです。
山背大兄集団自殺を疑う。
日本書紀、皇極紀。上宮王家消滅事件冒頭の童謡。
岩の上に子猿米焼く
米だにも 食べて通らせ
かましし(カモシカ)のお爺さん
🙈🙉🙊🐢
山背大兄一族が、宮を襲撃され、生駒山に逃げ込み、臣下たちが、東国へ逃れて兵を立て直しましょう、というのを拒み、一族引き連れ斑鳩寺で集団自殺した。という話の冒頭に置かれた歌です。
そして、結末でこの童謡の説明をしておわる。
変である。
直訳的に解釈すれば、
蘇我入鹿が食糧を与えて山背たちを逃がしてやった。
🙈🙉🙊🐢
山背たちが生駒山中に隠れているのを知った蘇我入鹿は、自ら出陣しようとする。すると、盟友の古人大兄があわててやってきて、入鹿をとどめる。
鼠は穴に隠れて生き、穴を失いて死ぬ。
入鹿が生駒山に向かえば、その隙に宮を占拠され、入鹿は殺される。
誰が入鹿を殺すのでしょう。山背ではありえないです。山背を襲撃したクーデター軍が、実は入鹿殺害が目的であったと、古人は告げているのではないですか。
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世間虚仮
捨身飼虎
表むきは、山背たちは自害する、捨身飼虎を選んだとします。では、彼らはどこで埋葬され、供養されているのか。定かではありません。
山背は、世間虚仮、世を捨てる道を選んだのではないか。
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聖徳太子の死後、若くして未亡人となった橘妃に、推古天皇は天寿国繍帳を与え、正后としての立場を守ります。
しかし、上宮王家では、亡くなった膳夫人が神格化され、その長女のツキシネが山背夫人として采配することになります。この、女の争いに山背はなすすべがなかった。
推古天皇は亡くなるまぎわ、山背を呼びつけて、かいしょなしと罵倒します。
山背には、天皇になる信望などなかったのです。
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新羅では、初の女帝、善徳が即位します。唐の皇帝は、女帝蔑視の言葉をなげつけます。新羅と日本、ふたつの女帝国家で、クーデターの動きが加速します。上宮襲撃は、その幕開けともいえます。
このあと、軽皇子と鎌足による、入念なクーデター計画が進行します。軽皇子、つまり孝徳天皇です。主眼は、女帝廃止でしょう。
日本ではクーデターは成功する。しかし、新羅では失敗する。それを知った女帝は、飛鳥にもどり再起する。難波の宮に取り残された孝徳天皇は憤死する。クーデター返しです。
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