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倭は「わ」か「い・ゐ」か?

見出し写真は2012年の天平祭。朝日新聞より


元明天皇による風土記編纂と地名改定。
713年和銅6年、風土記の編纂と同時に、地名をよき字2文字に改めよ、という勅命がくだされます。
で、
いずみ、が、和泉に
つ、が、摂津に
倭(やまと)、が、大和に
変わります。
和泉の、和、は発音しません。
摂津は、せっつ、と読まれるようになります。
問題はやまとの大和です。完全に当て字で、大いなる和、と首都としての理念を表明したのでしょう。漢字本来の発音は関係ありません。
丹後半島に、間人と書いて、たいざ、と読む地名があります。蟹で有名です。聖徳太子の母后の名前にちなむ当て字です。
摂津の摂、和泉や大和の和、いずれも聖徳太子への尊崇の念がこめられていると、私は思います。
というわけで、倭→和、と変換されたのだから、倭も、わ、だろうと、何百年も思われてきたようです。
しかし、江戸幕府最高の知識人、新井白石は、倭を、お、と読んでいます。わ、はかならずしも定説ではなかった。
神話には、その国の英雄を現す、タケル、という言葉があります。イズモタケル、クマソタケル、ヤマトタケル。では、元祖タケルはだれか。スサノウの子で、列島に植林して豊かな国にした、イタケル、です。つまり、イ国のタケル、ですから、この列島はイ国であることになります。
日本は、ワ国ではなく、イ国であった。

倭、を〈わ〉と読む。絶対的真理として万人が信じています。

さて、岩波文庫の「魏志倭人伝・他」です。1951年初版、1985年新訂、私の手元にあるのが2009年通算第79刷。信頼すべき基礎テキストです。

編集解説、石原道博。

石原先生の解説より。

『後漢の許慎の『説文』によれば「人にしたがい、委の声、詩にいわく、周道倭遅」とあり、唐の陸徳明の『経典釈文』にも「倭もとまた委に作る」とあるから、倭・委あいつうじ「ゐ」と発音されたらしくおもわれる』

有名な金印の「漢委奴国」の委奴は、そのままイドと読むべきで、博多湾の西の糸島半島の旧地名、怡土(イド=よろこびのくに)である。

聖徳太子の和の思想により、和国と表記したのは、おそらく8世紀であり、倭を無理に和と同意としたのでしょう。

倭と矮を混同し、卑しい字だとする誤解があるが、倭は礼儀正しい人という意味であるようです。

頭のなかでは、倭=わ、という通念が凝り固まってますから、ゐ、と変換するのは大変なストレスです。

十数年前、亀井のことを、みんな平気で、亀の池、と呼んでいたのを訂正するのにすごいエネルギーを要しました。

亀井という言葉の歴史と価値を証明するのは大事業でした。

さて、倭はどう発音するのか。定説はないと、覚悟が必要です。


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