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漂着する神々

見出し写真は、大阪港天保山ハーバービレッジの人魚像と記念撮影。人魚姫は漂着した水の精霊といえます。

わたしも漂着した生き物かしら。

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人魚像のすぐそばに、遊覧船サンタ・マリアの船着き場があります。サンタ・マリア号はコロンブスの大西洋横断のさいの船を模したもの。

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大阪港の紋章。サポーターに採用されたのは、ヌエ。京都に出没していた妖怪が退治され川に流され、淀川を下り、難波にたどりついた。遺骸を拾い上げた人々は、漂着神として手厚くとむらった。そのヌエ塚は、都島区にあります。

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さて、大阪港からはかなり遠いですが、那智の大滝です。

那智の滝を修行場として開山したのは、なんと仁徳帝の時代、インド僧裸形上人によるとされます。彼は、おそらく、招かれて来日したのではないでしょう。何らかのアクシデントで、漂着したインド人でしょう。

日本は、たくさんの海流に囲まれた、島国です。当然、いろんな人も物も漂着する。溺死体も。それらは、えびす、とよばれて、信仰の対象になる。

えびす様といえば、ヒルコかコトシロヌシとされます。コトシロヌシは、国譲り神話で、出雲の支配を譲渡することに合意して、入水して死にます。ドザエモンです。しかし、言霊の神として宮中でも崇拝されます。

もっと不思議なのが、国産み神話でいの一番に産まれたのに、障がい者だと流しすてられる、ヒルコです。

ヒルコがなにを意味するのか。

日本人の深層のトラウマなのか、隠れた英雄なのか。

漂着から生まれる、豊かで多彩な信仰を見失ってはいけない。

那智信仰の開山、裸形上人のことは、ほとんどわかりません。四世紀に日本で仏教修行を、一人で行ったインド人。

漂着への畏敬。えびす信仰は、水死体からはじまる。熊野本宮の起源も、大雨で流されてくる風葬の遺体が集まる中洲を聖地としたことからはじまる。

私の街には、京で退治された、ヌエのむくろが流れ着いた淀川の岸として、ヌエの祠がある。大阪港の紋章にもなった、たのもしい妖怪である。

我々の祖先は、漂着する異国びとに、寛容だったのか。どちらとも、言えないかしら。

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地下鉄都島駅より南へ5分、商店街の裏道にある、ヌエ塚。

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神社は混み合うので、初詣はヌエ塚に決めています。

漂泊の水の神。宗教民族学者、中沢新一さんは、聖徳太子の四天王寺創建の根本動機に、境内の亀井水にみられる水の信仰をあげられます。社会の底辺を流れる水の神々とは、貧しき者、病みたる者である。そこに根源の救済の思想がある。

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➡️#亀井堂水の信仰

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