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ぬえ塚の歴史

#鵺塚


都島ともうしますが

都とはほどとおい田畑ばかりの

農民ばかりの土地であったと申します

難波の宮が発見されるまで

名前の由来は不明でございました

宮のむこうの島と申したとか

淀川と寝屋川に囲まれた

浪速の町の郊外の京街道がひとすじの

うら寂しい島でございました

いずれの御世でしたか

京の都より流された無人舟が

淀川の大川の岸に流れ着きました

見れば無惨なけものの亡骸が

横たわっておりました

なんの病に犯されたのやら

奇形の犬でございましょうか

得たいのしれぬ姿でございました

流れついたむくろは手厚くまつるもの

えびすとよんで供養するのが

民草のならいでございます

まして得たいしれぬものは

ぬえと申してあわれなもの

墓には石を積み上げ

野の花を絶やさず誰かれとなく

お世話いたしました

あまたのいくさに民草の迷い

田畑を血で染めようとも

この墓は失われることなく

道祖神のごとく慕われて参りました

いま都島は都会となり申せど

ここはさびれた商店街の裏道

千年の歴史の寂しき記憶に

ぬえ様はちよ千代と泣くのでございます

大阪メトロ都島駅南東歩5分


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