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アルコール依存症者の恩人~小杉先生の記録

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小杉先生の業績とわれらの半世紀の歴史の深層をまとめた、大切な本が完成しました。


私はFacebookに、亀井水のページと詩のページを作っています。私の詩を読んで下さるかたなら、うっすらと理解して下さっていると思いますが、基本ニンゲンという生物が嫌いです。普通、人間嫌いというと、社会的倫理的関係性において嫌いという語りをしがちですが、私の場合は生物種としての人間が嫌いなのです。

普通の人間嫌いは、俺は正しい、という立場をとりますが、生物種としての人間嫌いは自分自身がその種であるから、逃げ場がありません。

私のような感覚にとらわれた人は、実は珍しくないと、私は考えています。

逃げ場がない場で生きてゆくためには、世界を感受する現実を内面的にずらしてゆくしかない。アルコールはそのために一定有効でした。アルコールがなければ生きられない。そうして生き延びることができました。

アルコールは、副作用満載の薬物です。

なによりも、強烈な依存性があります。

人間社会には、薬物でなくとも、依存性のある事象はいっぱいあります。地位や権力などが典型であると、私は思います。アルコールはそれらとからまりながら、広く普及している。アルコール依存症は、複雑な姿をみせます。

複雑な様相をみせながら、基本は単純です。

自分を支えてくれたアルコールが自分を破滅させ底無しの痛苦に誘うとわかったら、断酒するしかない。


アルコール問題の先覚者であり、人間観察者、小杉先生が亡くなられ、11年。私のまわりの世間は、より深刻な喪失感に自壊していくような、寂しい時代になりました。

小杉先生の業績を、歴史に記録する。それは、この半世紀の歴史の深層にふれる、困難な仕事であったと思います。

アルコール依存症は、目の前の事実であるのに、患者本人も世間も目をそらそうとする。

私が生き延び、亀井水という目の前で放置されていた古代遺産に出会ったことを、小杉先生に報告した。目の前で放置され差別されてきたアルコール依存症者と同じやなあと、亀井水調査のアクセルを踏み込んでくださった。


亀井水を見えるがままに記録し、資料をさかのぼり精査してゆく。

アルコールに支えられ、アルコールで苦しんだ私自身を、あるがままに語り、生活の歴史を精査する。

イキモノとして、雀やハムスターのようにはかなくも、かろやかに生きられているか。

追記、なだいなだ先生の思い出

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なだいなだ先生と。鶴橋駅にて。98年。


なだいなだ=堀内先生と、小杉先生は、ほぼ同時期にアルチュウの通院治療を始めた、東西の先駆者です。通院治療などアルチュウには無理だとされていた時代です。入院隔離から通院開放へ、精神科医療全体の変革の先駆者でもあったのです。


国立久里浜療養所ができた時代は、アルチュウは治療不可能だというのが医学界の定説でした。初代の医師は、ニヒリストのなだいなだ、と、敬虔なクリスチャンの河野先生という、変人二人。監視しているのはめんどくさいから逃げたい奴は勝手に逃げなさい、と開放した。ほとんど逃げなかった。閉鎖されると逃げたくなるが、逃げたところで居場所がない。

患者が自分の意思で治療を選択する、あたりまえのことが実証される。ならば、入院しなくても同じことだろう。

アルチュウは自ら治療を選択する。あたりまえのことが、否定されていた、と気がついた。

なだいなだの文学者としての人間観察。小杉先生があいりん地区で体験したアルチュウとの交流。

なだいなだ、小杉先生の柔軟な人間理解が、社会から失われたら、アルチュウや精神科の問題だけでなく、社会全体が生きづらいものになります。

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