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聖徳太子1400年忌にむけて皆さまよいお年を

SNSを始めて3年をこえました。

とにかく、亀井水のことを知っていただければと、夢中でした。

詩も書いています。

歴史、文化を否定し、大阪を破壊する政治屋が実際に、大阪市破壊をしかける、という執拗な策略とも、闘わなければなりませんでした。

人類が初めてウィルスの変異に対して、科学的に生き延びる挑戦、という、歴史愛好者としてたまらない時代にも遭遇しました。


人間の精神的基底には、水の信仰がある。そこでは、すべての事象が、関連をもってあらわれてくる。私のSNSは、ごちゃごちゃです。

しかし、根本は、亀井水と聖徳太子です。


前にも書きましたが、インターネットの基本概念である、クラウド・雲、がまだ理解できていません。

知識、表現、言葉、アートなどが、雲のようにただよっており、私もそこに加わる。

しかし、1個人は、カスミのようなもので、インターネット空間でもかき消されてしまう。

物好きな人が数人、検索に引っかかった私の投稿を読むかもしれない。でも、それも、流れてゆく雲をみつめるだけの、一瞬でしかない。


ある程度、常識として共有されている知名度がなければ、インターネットの中で生き残れないと思います。ここでも、無から何かを生み出すのは不可能に近い。

また、常識に反するような話は、カルトでないと他人には届かない。


たとえば、聖徳太子について語るにしても、あのお札に採用された肖像を、私は確信をもって否定します。その一点だけで、世間との回路は閉ざされます。

江戸時代の終わりまで、聖徳太子信仰のメッカは四天王寺であり、何かわからないなりに、亀井水も大切にされ、経木供養の水として認識が共有されていた。

その四天王寺の地位と亀井水の知名度は、明治政府の政策により、完全に学問的に無視されてしまった。

そうして、150年間の国民教育によりゆがめられ、固着した知識の前で、インターネットといえど、いやインターネットだからこそ、無力である。

雲ははかない。

クラウドから新たな価値と知識が生まれるための、基礎が私には、手に負えない。


そんな脱力感とともに、変異ウィルスにおびえながら、聖徳太子1400年忌の年となります。


皆さま、よいお年を。

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