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ゴルバチョフ氏の死を悼む・ソビエト的旧弊~働かざる者食うべからず、はスターリンの独断

唐突に新約聖書「働かざる者食うべからず」この部分は偽書です

働かざる者食うべからず。の出典が、テサロニケ人への第二の手紙、である。ただし、この手紙は偽書であろうと考えられている。

聖書は無論、古代文献で、文献学によると、働かざる者食うべからず、という言葉は他に一切ない。

手紙の目的は、いつまでもやってこない最後の審判に、だれてきた信者に、日々の務めを守りなさい、という説教である。

私達は怠惰な生活をせず、人からパンをもらうこともなく、模範となる生活をした。私達を見習いなさい。

という趣旨である。

しかし、福音書では、キリストは無限にパンを生み出し、人々に与えた。信仰さえあれば食うに困ることはない、というのが聖書の基調である。

しかし、キリストは審判の日までやってこない。信仰を守るためには、怠惰でいてはならない。日々の務めは怠るなかれ。

だらけた信者を叱責するのに、私のようにがんばれ、と説教したのである。

しかし伝道者が布施ももらわないと自慢するのは、変である。
おおくのまともな宗教は、布施を大切にする。
仏教でも世俗の労働から離別して、布施のみ、人の施しのみで生きるのが、修行だとする。キリスト教でもイスラム教でも布施を受けることは、神聖なことです。
色々調べてこの布施を否定する手紙は、偽書であるとほぼ確信をもたれている。

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現代にこの言葉を復活させ権威化したのは、スターリン時代のソビエト憲法である。

否定されたスターリンの憲法項目を、律儀に信じているのが、日本人である。どうも、社会党と労働組合の責任が大きい。スターリンの思想を、世界はちゃんと克服したのに、日本人だけは怠惰に言葉にしがみついている。


あそびをせんとて生まれける。

われときて、遊べや親のないすずめ。

日本人にはゆたかな遊びの伝統があるはずだな。労働も遊び心なければ、やぼという。私のようにまじめに遊べ。

健康で文化的な生活とは、権利以前に、人としての自己義務です。


再々再々、うったえます。

働かざる者にも、働けざる者にも、生きる権利と義務があります。生活保護など社会的支援をうけるのは権利以前に、生きるための義務です。一人が生活を放棄すれば、それは社会のスラム化につながる。

あなたが、自分を生きるに値しないという選択をすれば、それは社会を貧しくします。

支援をうけいれ、生きて、消費することで、経済も活性化します。

世界では、スターリンの誤りは、批判されてきました。日本人だけが、スターリンにいまだに束縛されています。

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