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失われた参道・南大門の風景

明治時代の四天王寺南大門前参道の貴重な写真がありました。

参道の正面に南大門。その向こうに中心伽藍中門の大屋根。そして、五重塔。

この景観は、昭和初期に失われました。


今、天王寺駅前を終点とする阪堺電鉄の終点は、四天王寺西門前、でした。

ここに市電のターミナル駅を作るため、四天王寺の南一帯を道路にしてしまいます。

南大門前の史跡は、根こそぎ破壊されてしまいました。


南大門に向かって左手に、牛頭天王の祇園信仰の社、土塔宮。右手に、天王寺舞楽の初演がおこなわれたと伝わる万代池。湖畔には、仏塔を土で覆い固めた塚土塔。

この辺一帯の地名を、土塔、といい、それはいまお地蔵さまの名前、土塔地蔵に残すのみです。


参道、万代池、土塔、土塔宮。

今も残るなら、すばらしい歴史遺産なんですが。

明治26年『四天王寺由緒沿革記』大久保好識
の境内図より南大門周辺
土塔地蔵さま

全国に広がる八坂神社のお祭りを、祇園祭といいます。
八坂神社の神様は、牛頭天王と習合神としてのスサノウです。
祇園とは、仏陀の教団に寄進された有名な修行道場で、その遺跡は大切に保存されています。
日本人には、平家物語の冒頭、祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、という言葉でおなじみです。
ところがあいにく、インド仏教には、鐘はありません。当然、祇園精舎の遺跡には鐘楼はありません。
それを知った一部の愚かな日本人有志が、祇園精舎に鐘楼を建設してしまいました。困ったものです。
日本人は平気で、自分達の都合のよいように歴代遺産を改ざんしてしまう。
日本人に限ったことではないでしょうが。

明治政府は、実質的な廃仏毀釈を命じます。
フェノロサたちに叱られて軌道修正はしましたが、四天王寺は冷遇されました。
無論、亀井水など、学者は見ようともしない。
全国津々浦々に広がっていた、祇園神としての牛頭天王は、口にするのもはばかられました。天王と天皇がまぎらわしい、というのもあったかもしれません。
しかし、祇園という言葉を消すのは不可能でした。祇園神は、旧くから習合したスサノウとされて、一件落着です。
とはいえ、牛頭天王という仏教神は魅力と恐怖にあふれています。
最強の疫病神。
未知の変異を展開する現下のパンデミックのなか、古くて新しい疫病神の記憶をたどるのも大切かもしれません。
そして、未知のウィルスには、予断を排して謙虚にむきあいたいものです。
人は未知を認めない、困った生物のようですが。すぐに結論にとびつきたがる。


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