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軽薄な「聖徳太子はいなかった」ブーム
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昭和のお札のデザインに採用され、戦後も使用された肖像。江戸時代の模写。
法隆寺が伝え、明治になり寺の財政逼迫で皇室に献上された。重要な信仰の対象なら、手放さないだろう。
戦前のお札の肖像は全て想像図にすぎなかった。この肖像も歴史考証をへずに採用された。
元の題を「唐本御影」という。
つまり、唐の役人のユニフォームを奈良時代に日本も採用した。ユニフォームのお手本として描かれた、ということでしょう。
だから、唐の絵画にも同じ姿がある。
で、話はややこしくなる。
これを、昭和の日本人は聖徳太子だと信じた。
その誤解に基づく聖徳太子像は、調べたら嘘だとわかる。
では、千年以上聖徳太子像として信仰されてきたのは何か。亀井水由来の楊枝御影や水鏡御影の系譜の作品群です。法隆寺でも聖霊院本尊秘仏として、それを厳重に守ってきた。
亀井水の歴史をしらべたら、すぐに分かる。
そうした研究もせずに、信じていた像が偽物とわかったら、聖徳太子そのものを否定する。
で、聖徳太子はいなかったブームがおこり、軽薄に広まる。
この肖像が聖徳太子ではない、という事を受け入れ、聖徳太子信仰の歴史を考証するということが現代人にはできない。
ややこしい話は無視否定する。
何から何まで、日本人は劣化した。
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