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老子の言葉と亀井水

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老子、故宮博物院。

老子に不思議な思想があります。

道生一 一生ニ ニ生三 三生萬物

根源の道は一を生み、一はニを生み、ニは三を生み、三から万物が生まれる。


亀型水盤。2000年までは亀井水ただ一つしか存在していませんでした。

世界中にも例がない。

一つしかないものは、どう評価するなり、解釈するなり、学問的には難題です。

一つしかないなりにいろんな人が悪戦苦闘してきたものに、酒船石がありました。

亀井水は四天王寺の商売道具ぐらいの扱いで、疑問さえ持たれなかった。

そこに、第二の亀型水盤が発見された。

何人かの人が、この二つの類似性を指摘しました。

しかし、亀井堂を訪れた、権威ある研究者は、その暗さと、明治末に設営された上手の亀の噴水に目を奪われ、水盤が亀であることに気が付かないまま、学会に報告してしまいました。

新潟大学の小林先生も、亀井堂までいらしたのに、たまたま私が声をかけなければ、気が付かないで立ち去るところでした。

もちろん、新潟からわざわざ来られたのは、飛鳥で発見された亀型水盤との類似性を確認するためでした。何となく似てはいるが、はてな、で終わりかねないところでした。


色々私なりの調査を説明し、飛鳥の亀型水盤と亀井水が完全に同類例の遺物であることを、理解してくださいました。

その時語られたのは、考古学的な資料として、類例が3つあれば、学問的な研究対象として認知される、というお話でした。

そして、その重要な三例目の亀型水盤が、新潟市にあるようだ、という興奮に満ちたお話でした。


それが、長者のふせたるかめ、の伝承であり、亀池と呼ばれた池の底に存在したことはまちがいない、何かです。

これが、大化の改新の時期に、蝦夷との交流拠点として造営された、ぬたり柵(き=城)の証拠になるはずだ。

亀井は伏してかしこまっている。

また、四天王寺根本縁起では、聖徳太子のことを長者とよんでいる。

私も興奮しました。


しかし、亀池は埋められ、市街地になっています。ボーリング調査では、池の深さは3メートルぐらいのようです。これは、亀井の四天王寺境内地面からの深さと一致する。

いかんせん、市街地で建物を潰して発掘することが出来ない。

以来、14年。長者のふせたるかめ、の発掘は、実現していません。

3つの亀型水盤が揃えば、考古学の大発見になります。

難波、飛鳥、新潟。

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