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東雲礼拝

浄土信仰の夕日礼拝

四天王寺は、平安時代以降は、極楽浄土信仰で、西向きの夕日を礼拝する日想観(じっそうかん)の名所として信仰を集めます。

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ところで、四天王寺のなかで亀井水も、人々の信仰を集めてきました。

亀井水は東へ流れますから、水源は西にあることになります。極楽浄土信仰と矛盾はしません。

四天王のいらっしゃる、世界の中心の須弥山の麓にある、無熱池(むねつち、アノクダッチ)がその水源であるとも、語られてきました。

南無二歳太子

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元興寺太子二歳像

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河野智聖さん画、太子二歳像。

聖徳太子信仰に欠かせないのが、南無太子二歳像です。父用明天皇は、朝の礼拝を欠かさなかった。まだ数え二歳の太子は、父の姿を見て、東の空に手を合わせ、南無と礼拝されるようになる。

南無太子像は、東への礼拝です。

亀井水は、いままでも何度も言及してきましたが、朝の東の空を礼拝する水鏡であったと私は分析します。

聖徳太子信仰の本来の太陽礼拝は、朝の東への信仰であった。それが基礎にあり、西の夕日礼拝に移行してゆく。

しかし、用明天皇が朝の礼拝を重視されたのは、日本人の伝統であったでしょう。隋書倭国伝には、倭国の王は、夜明けまえに政務をつかさどる、とあります。

東雲~しののめ

しののめ、とは、篠の細かい網目から光がもれる様子、ということです。それを、朝の東の空への信仰として、東雲、と当て字をします。美しい言葉です。

ちなみに、東の浄土は、薬師瑠璃光如来の浄瑠璃浄土です。薬師如来はお名前のとおり、医学の仏様です。疫病にたえず苦しんできた日本人にとり、阿弥陀如来とならんで大切な信仰でした。

今、大阪は、苦しい時です。太陽への虚心の祈りをとりもどし、夜明けをまちましょう。

聖徳太子が四天王寺に実現された、政治の基礎としての、医学、薬学、福祉、学問、を真剣に守るべき時であると、思います。

Facebookページ亀井堂水の信仰より、スクリーンショットです。

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