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少子高齢化は楽しい

単なるお金の問題かしら

少子高齢化は、とても恐いことのように語られます。それは医療や年金などが、なだらかな富士山型のピラミッドを描く前提で制度設計されていて、その形が崩れたらやりくりできなくなる、ということですかね。

どうやら、財源の、お金の問題のようです。

若い人が働いて納める税金が、老人の医療や年金に使われる。だから、若い人が減れば、国の財源がなくなる。

しかし、国の予算が縮小すると、老人だけがどうこうではないです。若い人も含めた国民全体が貧しくなります。それを、老人が悪いということにするのは、なんか論点がずれているのではないかと、ひそかに愚案します。

若い人のお金が老人に使われる、という論理がおかしい。いったん国に入ったお金自体は、単なるお金です。それをどう配分するかは、じゅうなんに考えることは出来ませんか。

労働と消費は一体では?

労働だけでは価値を生み出せません。消費があるから、労働は価値を生むのであり、すべての老若男女は消費により社会を支えています。現役をリタイアした老人も、消費により価値を生むんじゃないですか。

人は生きているだけで、価値を生む。

文明の質をより高めるのは、賢い消費だとも言えます。老人の知恵は、消費をつうじて社会に貢献する。

少子高齢化は新たな豊かさ

そのためには、老人も新しい知識に目をむけ、賢くならなければなりません。

子どもが少なくなったら、老人たちで守ってゆくことが、より手厚く可能になるはずだと、私は思います。子ども、若者、老人が分断されていることが、根本的な問題なのです。

少子高齢化は、子どもを守り、より心豊かな社会を生む基礎になる。

お気楽に、考えます。

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