故郷喪失の時代。古くさい偏見だけが、ネット時代にも跋扈する。それでも大阪は私の故郷。再生する水の信仰。蘇る古代都市。
再生する奇跡。四天王寺と大阪市。
写真1、昭和9年室戸台風により崩落した四天王寺五重塔。
写真2、昭和20年空襲により消失した中心伽藍から西大門付近。
写真3、同。西大門手前の手水鉢、初代。現在は三代目。
四天王寺は、記録に残るだけでも、七回崩壊消失しました。しかし、原形を完全に保ちながら再建されてきました。これは、奇跡です。
戦後の発掘調査でも、再建のたびに、柱がまったく同じ位置に設営されてきたことが、確認されています。
亀井水調査から判明したことのひとつに、境内地形があります。
四天王寺境内は平らに整地されています。しかし、亀井水だけは、低地に造られています。それに伴い、中心伽藍の東だけが、南大門から亀井水にかけて、ゆるやかなスロープになって、中心伽藍東面だけに石垣が組まれています。なかでも、亀井水部分の石垣は飛鳥時代の工法を残す貴重なものです。
さらに、亀井水の水源である、金堂中心の井戸が、金堂の位置を決めます。
亀井水が設計の起点となり、中心伽藍の位置と規模を、厳密に決めざるを得ない。
亀井水が、四天王寺の原形を守ってきたのです。
法隆寺でさえ、現在の伽藍は、創建当時とはまったく違います。
1400年間、創建当時の原形を維持してきた四天王寺は、まさしく浪花のシンボルといえます。
上町台地を背骨に、生成した、国産み神話の舞台、砂州、ラグーン都市大阪市。
川と海のエネルギーで生まれた大阪市は、災害都市でもあります。
さらに、戦乱、空襲により、焼き尽くされても、再生し、発展してきました。
大阪市の再生には、常に、四天王寺を再建する、街の人々の、信仰と希望が起点となりました。
明治維新政府は、京都奈良を歴史的聖域と認定しながら、大阪市を無視しました。
聖徳太子信仰の中心も、四天王寺から法隆寺に変わります。
しかしながら、近代史の迷路のはてに焦土と化した空襲からの復興にも、四天王寺の再建への情熱がありました。
とはいえ、戦後の経済発展のなかで、四天王寺と亀井水は忘れられてゆきます。もちろん、父母祖父母から伝えられた素朴な信仰は守られてきました。しかし、脆弱な文化的自覚は、大阪市の力を弱体化してきました。
大阪市には、歴史も文化もいらない。伝統はすべて破壊すればいい。
そんな時代に至る、精神的自壊を放置するしかないのでしょうか。
大阪市内には、無数の歴史遺産があります。
亀井水もそのひとつです。
亀井水の再発見から、聖徳太子が願われた話し合いによる平和をこの地に。
ふるさと、大阪。
2024年11月22日、太子会に