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この亀形水盤の名前の変遷。とみのい、白石玉出、亀井水


四天王寺亀井水コラージュと中心伽藍

亀井、という名前が、いつから使われているのか、定かではない。平安時代中頃、歌の名跡、歌枕として亀井の名称は広く知られていた。世界にもない、飛鳥と大阪四天王寺にしかない、甲羅のない亀形水盤という特殊な存在。私は、水鏡の甲羅の光の亀と理解しています。いずれにせよ、亀井は自然な愛称です。

同時期、四天王寺御手印縁起が創作される。

1007年慈蓮によって、金堂内で発見されたとされるが、聖徳太子自筆でしかも御手印まで押されているという、念のいった偽書である。

これをきっかけに、中世にかけて、聖徳太子予言書が創作され、「発見」されてゆく。

しかし、創作当時の知見を伝える、貴重な史料にはちがいない。

そこには亀井水は、白石玉出水、としるされている。

亀井水と書いたのでは、有り難みがない、と平安時代中期のお坊様は考えた。つまり、亀井は当時の貴族がつけた愛称であり、本来の名前ではない。そこでいかにも古称めいた名前を創作したのか、本当の名前なのか、判断しかねます。

で、白石玉出、という名前については、あまり触れないできた。どちらかといえば、ありがちな名前である。

では、聖徳太子に結び付くヒントはないのだろうか。私は、聖徳太子の死のまぎわの歌の、とみのいのみず、が聖徳太子自身が語っていた亀井水の名前ではないかと、判断します。この太子絶唱については、たびたび書いてきました。

「いかるがのとみのいのみずいかなくに

    たぎてましものとみのいのみず」

トミの井の水。トミとはなにか。亀井水を水鏡として太陽を礼拝するとき、日の出の山生駒山を聖なる山と礼拝した。原ヤマトのトミの国。ニギハヤヒと妃ミカシギヤ、トミヒコ(ナガスネヒコ)の活躍した国である。

大阪平野はまだ海だった。西から航海してきた人々は、まず生駒山を目指す。トミの国への入口でもある神聖な山。四天王寺のある上町台地からは、朝の太陽礼拝の桃源郷。

トミの国の記憶を、太陽の光を反射する亀形水盤の輝きのなかに思い描く。

上町台地の東の河内湾の水辺で、生駒山を礼拝する姿でおかれた、諏訪神社。その祭神の名前は、タケミナカタトミ、とトミがつきます。


御手印縁起冒頭

御手印縁起冒頭は、まず四天王寺は龍神が守護する水の聖域だと述べられ、その聖水、白石玉出の水は東へ流れる、と説明されています。四天王寺を語るとき、いの一番に水の信仰から語られなければならない。それが、平安時代のお坊様の認識であったのです。

東へ流れる龍神の水は、亀井水のことにまちがいありません。四天王寺を知るためには、まず亀井水を礼拝しなさい、ということです。平安時代は亀井水は屋外の施設で、2つの石槽が連なり、太陽を、あるいは夜は月と星を映す、光の亀でした。

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