それが大切だと気付くまで

どうも、仮名です。
ここ最近の睡眠時間がとんでもなく少なくて、常に意識が飛びそうです。

今回はかなり暗めなお話です。
つい先日、祖母がクモ膜下出血で倒れ、私は現在大阪を離れて母方の実家の徳島に来ています。
ただ、徳島に来るのは実に十五年ぶりで、 私は当時十歳でした。
たくさんの親戚から「おっき(大きく)なったねぇ」と言われる度に、心がキュッと閉まるような気持ちが抑えられません。

全部覚えているのです。
よく祖母が連れて行ってくれたしまむらも、マルナカのメロディーも、畑や田んぼの独特な匂いも、親戚たちの顔や声も、独特なイントネーションと話し方になる阿波弁も、祖母の家に行くまでの道も、何もかも。
祖母はよく、私のことを「この子は天才じゃ」と言ってくれました。
近くの図書館で借りた裁縫の本を見ながら、ジーパンを切り刻んで作ったカバンを見た時。家の中で大声で歌った時。小説家を目指して進学したことを母が伝えた時。
いつだって凡才で、まだ何者でもない私を「天才じゃけん大丈夫」と母に伝えていたと。
よく撫でてくれた手はまだ暖かいのに、人工呼吸器に繋がれた祖母はその目を開けてはくれません。
きっともう起きては来ない。みんなが悟りながら、それでもたくさんの親戚が足を運んでくれています。

両親が離婚してから、一度も帰ってくることがなくて、母の弟ともソリが合わなくて顔も突合せ辛くて、ずっと逃げ続けていました。
私が逃げ続けてしまっていたから、もう話すことすら出来ないのです。
私が夢を叶えていく所も、もう二度と見せてあげられないのです。失ってからじゃ、何もかも遅いのだと改めて痛感しました。
取り乱した母は、今じゃシャキシャキと家の用事をこなしていますし、母の弟はご飯が喉を通らないと言いながらずっと病院にいます。
久しぶりに会った祖父はすっかりおじいちゃんになっていて、祖母が倒れているのを一番に見つけたこともあって憔悴しきってしまっていました。それでもご飯も食べてきちんと寝て、なんとか普通の生活を取り戻してきています。
私だけが眠れない夜を過ごして、ぼうっといろんなことを考えてしまうのです。

思えば、ここへ来るきっかけになったけど、これがなければもう一生来なかったかもしれません。
祖母も祖父も、亡くなったことすら知らないまま生きていたかもしれません。
まだ、恵まれている方です。
幼心に覚えているいろいろな思い出を巡らせながら、見送れることは本当に稀なのでしょう。
近親者を亡くすかもしれない、というのは全てメディアの中の世界でした。
今も、まだ夢心地です。全部悪い夢なのではないかとすら思うくらいに。

覚悟も出来てきたので、週が開けたら一度大阪へ戻りますが、いろいろなことを片付けてからまたすぐに徳島へ戻ってくる予定です。
そろそろきちんと寝なければ体も持たなさそうなので、一度大阪で自分の心の療養をしようと思います。
以上、夜にコンビニを探して迷った挙句親戚に捜索された仮名でした。

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