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むかしむかし、こんなことがあったでのぅ~
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2024年6月の記事一覧

アマチュア

アーチェリーを含め、スポーツの世界で「アマチュア」という言葉は、すでに死語となっています。例えば、我々のバイブルともいうべき「全日本アーチェリー連盟競技規則」の表紙を見てください。そこにある紋章には、「All Japan Archery Federation」の文字があります。実はここには、1999年度版まで「Amateur」の文字があったのです。しかし2000年から、文字が消えました。 「アマチュア規定」の原型は明治から大正に変わる頃にできたようですが、その頃は身分や職種

プロフェッショナル

この広告を、覚えていますか? 1974年に雑誌に掲載された、ジョン・ウィリアムスです。写した場所は東京。今見ると何とも思わないかもしれませんが、これは画期的な出来事でした。この時まで、「選手」が写真はもちろん、名前であっても広告に登場することはなく、メーカーのロゴやステッカーを貼ることも、宣伝することもできませんでした。アマチュア規定違反です。 当時、アマチュアとプロフェッショナルは厳格に区別され、アーチェリーの世界にプロは存在しませんでした。とはいえ、世界で唯一アメリカには

なにをチャラチャラと

1976年全米選手権でのスナップです。さて、トレードマークのこの帽子は、誰でしょうか? O.K.・スマザーズ(USA)です。1997年に亡くなられたようですが、1957年第18回プラハ世界選手権のチャンピオンです。この大会から世界選手権は「ダブルFITA」ラウンドになり、男子は90-70-50-30m 144射4日間で行われるようになりました。その最初の世界チャンピオンが彼です。 世界チャンピオンは憧れであると同時に、永遠に敬意を表されます。全米でも、毎年現役選手として参加

世界チャンピオン

この写真を見て、誰だかわかるアーチャーは大したものです。 1967年アマースフォルト世界選手権チャンピオン、レイ・ロジャース(USA)です。僕がアーチェリーを始めて、最初に知った世界チャンピオンです。とはいえ、アーチェリーを始めた1969年はバレーフォージ世界選手権で、チャンピオンはハーディ・ワード(USA)の時代でした。 ハーディ・ワードはアマースフォルトでは3位に甘んじているのですが、バレーフォージでレイは7位です。そしてジョン・ウイリアムス(USA)が、2位で197

第二十四回 世界弓術選手権大会

第4話 前回第3話をアップしたところ、宮田純治氏のご長男、宮田哲明さんからメイルをいただきました。 お父様は1938年生まれとご高齢ですが、元気にされているようです。コロナを機に弓道連盟の仕事などからは徐々に引退し、埼玉の自宅併設の弓道場で指導は続けられ、穏やかにお暮しのようです。 日本のアーチェリーは1956年当時、ヤマハの川上源一さんがアメリカでハワード・ヒルからもらったグラスファイバー製の弓を日本に持ち帰ったところから始まります。源一さんはその弓を社員に渡し、「この