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「また◯◯(いついつ)に」が言えるのは居場所(まよなかめがや#24)

今朝から熱が出て久しぶりに『体調不良』と言える状態である。
胸を張ってなにを言い出しているのだろうか。

日中、昼間なのに遮光カーテンによって
真っ暗になった部屋にこもり
ふと誰にも会えない寂しさみたいなものに包まれてしまった。


そういえば最近「また明日」って
口にしてないなと思った。
なにもかもがオンラインになってしまって
毎日会う人がほぼいなくなってしまった。

出社していたときとか
はたまた学生時代はもっと頻繁に口にしていたことが
懐かしく感じられて急に愛おしい。


それでもぼくには「また明日」ほど頻度は高くないけれど
「また週末に」「また来週」と言える相手が数人いる。
ちなみにみんな父親世代のおじさん。


「また〇〇(いついつ)に」と言えることは
居場所があるということなんだと思う。
これはとても何気ないことだけど幸せなんだと思う。


電話番号もLINEも知らない人たちが
「また週末に」や「また来週」の先にある居場所は
まったく慣れないこの現実世界とオンライン世界の狭間にある
砂漠でいうところのオアシスみたいなものなのかもしれない。
繰り返しになるけど
オアシスで待っているのは父親世代のおじさん。


おじさんたちに会うために
体調不良を明日の朝までになんとかしなければならない。

明日「また来週」を言うために
冷えピタをして日中よりもさらに暗い部屋へ
また戻りたいと思う。

かめがや ひろしです。いつも読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、インプットのための小説やうどん、noteを書くときのコーヒーと甘いものにたいせつに使わせていただきます。