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うたまとめ

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これまでnoteに公開してきた詩群をここに紹介しておきます。
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#エッセイ

自由律俳句「幼い頃の記憶が金魚のように揺れている」

水槽を 見つめ続ける こぽこぽと 空気の音が 響き続ける たぶんこの 金魚とはもう お別れだ いつか未来で 会えたらいいな あれは、どこかの店だったか。 たくさんの魚が、色々な水槽に入れられ、柔軟な動きをし、泳いでいた。 周りに、近づいてくる人はなくて、僕は、水槽の魚の寿命を想像しつつ、彼らとの未来の在り方を、誰にも理解されないとかすかに思いつつ、模索していた。

自由律俳句「広い野原の向こうから人が歩いてくる」

遠くから 誰か歩いて 来て見たら 知り合いだった のほほんとして 緊張が 一気にほぐれ ニヤニヤと 笑みがこぼれる なぜそこにいる 広い野原には、何が似合うだろう。 太宰治は、「富士には月見草がよく似合う」という名言を残しているが、これも同じ風景なのだろうか。 言語化が、いつもよりむずかしい。本人は、おそらく、なんとも言えない感情で、気まぐれにそこに、立っていたから。

自由律俳句「遠くから聞こえてくる小田和正」

高い声 透きとおる声 ああこれは 小田和正の 『今日もどこかで』 いつもなら 出てくる短歌 出てこない この人のあの 名曲みたいに 小田和正の『今日もどこかで』。そして、言葉にできない、あの名曲……。 この曲、いや、小田さんの数々の名曲に救われたことは、数知れず。 ちなみに、この間NHKで放送されていた『こんどこそ、君と!! 〜小田和正ライブ&ドキュメント2022-2023〜』という番組は、何度も繰り返し、小田さんが歌っているところ、お客さんの表情、希望に向かって歩き

自由律俳句「たぶん触った時に指がジュッと火傷した」

火傷した 人差し指を 冷やそうと 急いで水の ある場所に行く かわいそう そうだ自分は かわいそう なんて思って みて笑いたい 人生で、火傷をしたことは、あったような、なかったような、実は少ない。 だが、周りで火傷した人を見たことは、何回かある。 火傷とは、不思議な傷であり(物理的な傷とはまた違うかもしれない)、これからも、そのようなケガをする機会は、なるべく減らしたい。

自由律俳句「コンクリートに落ちた箱の中にお菓子」

ついやって しまった時は すでにもう 箱の中身は イメージできる すこしだけ 時を待っても 変わらない 現状を知り 箱を開けます お菓子を喜んで手に入れたものの、そのお菓子が台無しになる瞬間は、日常の中にさりげなく登場する。 ソフトクリームが、うっかり、夏の日差しに溶けてしまったようなものだ(アリにとっては、おそらくよいこと)。 コンクリートに落ちた時の箱の「バン!」という音が、せつなすぎる……。

自由律俳句「畳の上を裸足で歩く」

靴下を 履かないままで 畳上 フェタフェタ歩く 少しすずしい なつかしい 足の感触 思い出す 季節が夏に 向かい出すから 畳の手触り、いや、足触りを経験したことがある人は、どれくらいいるだろうか。 足と地面、もしくは畳と、自分が一体になっている感覚。 そして、自然の、やさしいふるさとのような、足触り……。