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墓参りと、代表戦とビャンビャン麺の事など。

久しく墓参りと縁遠くなってしまった。理由はこの状況にある。県境を越える移動を控えるように要請されているからだ。
自分が幼い頃、親に連れられ墓参りに行っていた時は、墓参りを終えた後の食事が楽しみだった。
何故か、寺の近所にはちょした会食ができる寿司屋のような店があり、普段とは違う昼食を摂るとという習慣が、この国にはある。正確にはあった。別にそれは、寿司屋ではなくファミレスであったりと、食事の内容や場所は様々なのだろうが、墓参りと会食はセットだと思っていた。
自分が結婚をして親戚関係が増えた後は、その様に食事する機会も自然と増えていったし、どの親戚も大体同じようなルーティンをとるので、きっと、この習慣は普通にこの国の常識なのだろう。

自分が家族を持ち、家族を伴って墓参りに行くようになってからは、寺の近所のショッピングモールに美味しい天麩羅屋を見つけ、家族の間では、墓参りに行くのか、天麩羅を食べに行くのか、どちらが目的なのか曖昧になった頃もあった。その天麩羅屋が撤退してしまってからは、決まった食事処を見つけられずにいるが、きっと自分の親も、墓参りは先祖を偲んだり親戚との顔合わせだけが理由ではなく、ちょっとした会食も楽しみだったのだと、最近は思うようになった。

さて、話しは戻り墓参りであるが、自分の義父の墓参りは、同じ県内であることもあって昨年何とか行けたのだが、自分の親の墓参りは県境を越えるリスクもあり、機会を逃していた。寺へのお布施は、まるで年会費のように口座に振り込んでいるのだが、さすがに一年を超えて様子も見に行けないことも気になっていたので、車でどこへも寄らず、ただ、墓の様子を見に行くことだけを目的に出掛けた。
早朝に思い立っての行動だったので、供える花を買う余裕もなく、墓参りというよりは墓掃除のようになってしまったのだが、結果、行けて良かったと思う。
着いた寺にはもちろん人影もなく、墓も近所の檀家の方が参った跡はあるものの、半数の墓は長らく人が訪れた気配が感じられなかった。目的の親の墓への途中も蜘蛛の巣が行手を妨げる始末で、新しい墓が多い中、墓石が倒れた跡もあるものも見受けられ、新しい花が手向けられ掃除が行き届いた墓との対比が明確だった。
訪れた寺の墓地には、宗派の関係もあり卒塔婆というものがない。なので、他の墓地をお参りした時と感覚が少し異なる。例えるなら、見ず知らずの外国人の墓を、観光地化されてるからと訪れる心持ちと似ているかもしれない。
久しぶりに対面した墓には、蜘蛛の巣が掛かってはいたものの、以前に訪れた時と大差はなかった。短く生えた雑草を幾つか抜き、墓石を磨き、持参した線香を供え、手を合わせた。
日頃、仏壇にある位牌に手は合わせいるものの、車で数時間の距離の場所に蜘蛛の巣が張る程の時間来られなかった事と、花を手向けられなかった事を詫びた。
寺の僧侶にはあえて挨拶はしなかったが、本堂の外から御本尊に挨拶を済ませ、帰路についた。無論食事もなしに。

帰って、昼食は簡単に済ませ、先日リアルタイムで観れなかったサッカー日本代表戦を録画観戦していると、なんと途中で録画が終わってしまい、ガッカリ。
まぁ、結果は知っていたのだけど…。自分的には、推しチームに所属していた3人がスタメンだったので、きちんと観たかったのだが仕方ない。

晩飯には家族が買っておいたビャンビャン麺を作った。
ビャンビャン麺のビャンの字を漢字で表示したかったのだが、表示できるフォントがない。Unicodeで58画もあるそうだ。

ビャンの漢字はこの麺のためだけに作られらしく、扁(ひら)たいを表現したものらしい。

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