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『NEEDY GIRL OVERDOSE』感想|きみがインターネットと決別するということ

身内から『NEEDY GIRL OVERDOSE』をもらったのでプレイした。

私は『ドキドキ文芸部!』『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』が好きだ。そんな話をしていたら、誕生日に顔がいい女を育成するゲームが届いた。

ざっくりいうと、心が弱めの女の子「あめちゃん」の彼氏(ピ)として配信のプロデュースをして、登録者100万人を目指そう!というゲーム。マルチ破滅エンディング搭載。
プレイヤーは、配信やネタ集め、お出かけやその他もろもろのコマンドを使い分けてあめちゃんを立派な配信者に育て上げてあげる。その先に待っているエンディングを見るために。
その名の通り、重たい女の子を過剰摂取できるゲームだ。

気になっていたタイトルだったのでわくわくプレイし、身内のフォローを受けて1週間で追加エンド含む全実績解除までたどり着いたので、全体的な感想や考察的な雑記をとりとめなく書いておく。
ゲームのわかりやすいレビューは各所にいっぱいあるのでそっちを見てほしい。

当たり前だけどネタバレ含みまくりなので見たくない人はブラウザバックでお願いします。

ざっとした感想-最後のエンディングやひみつのことを見て-

最終エンディング(I Need You)にて、プレイヤーが見ていたゲームの世界の構造を想像の斜め上をいく所から崩された。

薄々思ってはいたけど、あめちゃんはただのオタクで、アニメとゲームとサブカルが好きな、ただ社会に適合できないだけの普通の女の子だった。

あめちゃんはいわゆる『メンヘラ』だけど、おそらく医学的に何か位置付けられているわけではない通常の女の子で、配信することで承認を得てこの世界に存在していることを知らしめようとした、現実にも非常によくいる女の子だと思う。(その辺の書き方がにゃるら氏は本当に上手い)
そして、このゲームがコンテンツとして消費されるのと同じように、あめちゃんのような人々の生きづらさそのものが、現実のインターネットでも消費されている。
このゲームはそんなインターネット上で消費されるメンヘラという存在への皮肉と警鐘でもあるな〜と思った。

なにかしらの基準で名前がつかなかったり位置づけされなかったりする、境界線上にいる人々にとってこの世界はとかく生きづらい。
あめちゃんもそうだったんだと思う。本来健常とされるはずなのに、自分の足で立って要領良くやれるはずなのに、何らかの理由で生きづらい。だからインターネットを通して『メンヘラ』になって、コンテンツとしてインターネットに跋扈することを望んだ。
『NEEDY GIRL OVERDOSE』はそんな生きづらい人たちを救う救済の物語でありつつ、コンテンツとして消費されることで承認を得たとしても当事者が抱える問題も世界の問題も何一つ解決されていないうえに、外野たる我々は何もできない。
そんなことが最終エンドで思い知らされる、様々な意味で心に刻まれる『いい作品』だった。間違いなく。

で、『ピ』がいなかったことがわかったので、あのゲーム(あめちゃんの人生)をプレイしていたのはあめちゃん自身だということになる。
『ピ』がいない最終エンドで、あめちゃんは病んでしまいつつも自死には至らず、非合法な薬も使うことなく、よくいる『メンヘラ』の枠でいろんな配信をしてフォロワーを獲得する。あめちゃんを壊す(エンディングをもたらす)ピがいないのだから、当然のことだ。
でも、「一般的な幸せが、本当に彼女の望むものであったでしょうか?」
彼氏でプロデューサーのピにやってもらっていたことは一人でもできる、そうやって一人で完璧な配信者になったとして、あめちゃんの承認欲求は止まらない。
婚約者がいるだとかそんな設定を作って、最高の胡蝶の夢から覚めないことを求めているあめちゃんの「ほんとうのさいわい」はどこにあるのか。
インターネットがある限り、あめちゃんとわたしたちは超てんちゃんの夢を見続けるのです。

考察的雑記(気になったことや印象深かったところの話など)

望むのは誰とのadieu?

望むのは

すべてのエンディングを確認すると、『date0』というセーブデータがアンロックされ、これをプレイすると『I Need You』という実績が解除される。
『date0』の配信の中、超てんちゃんが『さよならを教えて』をプレイしているような様子もある。

これ、実績についているテキストが「望むのは完璧なアデュー」で、かの『さよならを教えて』の歌詞の一説のわけだけど、ピが存在しないことがわかってしまった今、あめちゃんが『さよならを教えて』ほしいのは誰なのか?何とさよならをしたいのか?
そして、実績名は『I Need You』で「私はあなたが必要」って正反対のこと言ってるんですよね…ピは必要ないはずなのに……

これ、インターネットでは?(名推理)

まるで天使のように微笑む強めの幻覚

かわいい

ひみつのこと.txtを開いたときに見られるイラストと雑談Lv5とやってみたLv5の内容を組み合わせると、超てんちゃん自身がかつてのあめちゃんのイマジナリーフレンドだった説ありませんか?
あめちゃんと超てんちゃんが手をつないでいる絵。
あめちゃんにイマジナリーフレンドがいたという過去。
小さい子に超てんちゃんが会いに行って、超てんちゃんは実在しているんだと教えてあげる配信。

この答えはあめちゃんと超てんちゃんのみぞ知る。

ねえ、君は本当にふしあわせなの

ハッピーエンドとは

『(Un)Happy End World』と『Happy End World』について。(分岐条件わかるかあんなの)
これ、タイトル見て真っ先にはっぴいえんどの『はっぴいえんど』と『続-はっぴ-いいえ-んど』を想起した。
サブカルをたしなむ人間的にはかの有名なバンドのはっぴいえんど、もちろんあめちゃんも知っていたでしょう。
『はっぴいえんど』の歌詞、「しあわせなんてどう終わるかじゃない、どう始めるかだぜ」という言葉は、インターネットの外に出て、超てんちゃんの手をほどいて、あめちゃんとしての人生を歩んでいくのかもしれないあめちゃんにかぶるところがあった。
もちろん全体的に見たらそんなにきれいな終わり方でもないですけどね。

練炭ごときではやめられないもの

死なない女

「一緒に練炭買いに行こう…」というメッセージに「わかった」と返すと発生する練炭自殺エンド。
エンドではあるが終わらない。承認欲求は止まらないし、インターネットはやめられない。
あめちゃんにとってインターネットをやめることは死ぬより難しいのである。

不明なエンディング

↑の内容を踏まえて。
隠しエンドの『Happy End World』において、あめちゃんはインターネットをやめる。でも、エンドのタイトルはハッピーエンドなのに、たどり着くのは不明なエンディングだ。
インターネットを止めることで、誰かと誰かが出会うはずだった縁が途切れるならそれは、果たして本当にハッピーと言えるのか?インターネットを照らす一筋の光になりたがった超てんちゃんが求めていたのはそんな終わりだったのか?そしてそれをプロデュースしていたあめちゃんにとっては?
ハッピーエンドとは、一体何なんでしょうか。
あと、インターネットの終焉の表現が対になる形の追加エンド『THE INTERNET ANGEL Be INVOKED』のおかげで存在の良さがめちゃくちゃ際立つ。
インターネットでのつながりが世界自体の破滅を呼ぶ。まさに令和インターネット。さながらインターネットの擬人化であり、消費されるものではなくなり、インフラと化した超てんちゃん。世界を救って自分も救われる?そんなエンドで、でも結局ハッピーではないらしい。
インターネットやめろ(正解)

銀河鉄道エンドのジェバンニはあめちゃんだった

ネットロアになってしまった

追加エンド『Milky Way Train』において、あの列車に一緒に乗っていて、「一人だけそばにいてくれた」わたしが解放してあげるから」と超てんちゃんが指している存在はピでありあめちゃん。ここでの開放はODによる死亡なのだろうけど、超てんちゃんの思うあめちゃんの救済はここにしかなかったのかもしれない。

なぜなら、あめちゃんはインターネットをやめられないから。

このエンド、あめちゃんは超てんちゃんから解放され、超てんちゃんはネットロアとしてインターネットに生きる天使になる。
超てんちゃんはあめちゃんを救済した代償として、ひとりインターネットに残り続けるのだ。永久に。

狂ってるのは君のほう

なんか、途中からプレイしながら大森靖子の『ミッドナイト清純異性交遊』のことをずっと考えていた。
ワンルームで始まった嘘だらけの夢の世界(インターネット)を信じたあめちゃん。超てんちゃんはあめちゃんのことが大好きだし、あめちゃんも超てんちゃんが大好き。だからインターネットと自分を救ってあげたかったはずなのにね。

…と、ここで追加エンド『DARK ANGEL』を思い出す。このエンドもすごい好き。

狂ってるように見える?と100万人のオタクたちに問いかけながら、インターネットという場所の残酷さを説くダーク超てんちゃん。わたしはこんなやつらのために頑張ってきたわけじゃない。じゃあ誰のため、なんのため?
不評なエンディングでも好きだから守ってあげるよ。
派手なグッバイを演じてオタクたちの心に傷をつけたダーク超てんちゃんが本当に守りたかったのは誰だったのでしょう。

メンヘラってそういうもん

インターネットに生きとし生ける『メンヘラ』の解像度が高すぎ。
生きづらいから、しんどいから、誰かを、何かを頼って、頼った結果破滅したり救われたりするけど、生きづらくてもなぜか一人で生きていけちゃう。それが『メンヘラ』。

そしてまさに結局掌の上で踊るだけ…という言葉が正しく落とし込まれたエンド。我々はあめちゃんが一人で見ている胡蝶の夢を追体験して消費するだけの存在。

そしてそういうメンヘラは、今もインターネットのどこかにいるのです。たぶん。

さいごに-インターネットという友人との決別-

自分の経験的なものもまあ多少あるんだけど、全体的に「ある」感が強い。
「いるいる」「あるある」という感情が臨場感をもたらすからこそ、第四の壁を越えてくるエンドやインターネット接続有無での分岐、そして最後など、数々のメタ的な演出が効いてくる。
顔がいい女の子がインターネットで破滅していく様を見るゲームであるからして、あの隠しエンディングは非常に『ハッピーエンド』なんだと思う。
でもこのゲームにハッピーエンドはないんですけどね。

で、『I Need You』とそのテキストと、『Happy End World』を見て。
あめちゃんにとって、この『You』はピではなく、おそらく強めの幻覚である『超てんちゃん』という存在それ自体だと思った。
そして、それが完璧な配信者としてインターネット上に降臨してしまったら、インターネットをやめることで、決別しなければいけない存在でもある。
インターネットをやめたらハッピーエンドにたどり着ける。でも、それはあめちゃんにとっては永遠にたどり着くことができない『不明なエンディング』で。

だから、うまくいってももう一回。なんども繰り返し夢を見る。

心がちょっと弱くて、酷くかまってちゃんで、大好きな友人を「行かないで」と引き留めたがっている、そんなあめちゃんの感情は、まさに『メンヘラ』が『メンヘラ』たる心意気。
これを全力で摂取、消費させてくる『NEEDY GIRL OVERDOSE』、とんでもないゲームだなと改めて思いました。たのしかったよ!

†昇天†

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