でたらめエッセイ-自転車を買った話-

自転車を買った。

中古自転車屋の店頭で日差しに焼かれていた銀色のママチャリは、カゴが錆びていて鍵がないから、六千円だった。

「盗まれても諦められる値段だから」

シワシワの顔で店主はそう言って、私に自転車を受け渡した。わずか十分の出来事だった。

ジリジリと熱された黒いサドルに尻を乗せ、製造メーカーの欄に「不明」と書かれたその自転車のハンドルと防犯登録を握りしめて帰った。数ヶ月自転車に乗っていないせいか、膝の回転がうまくいかなかった。

幼いころ、多分多くの子どもがそうであるように、自転車一台あればどこへでも行ける、と思っていた。たとえそれが一キロ先の最寄駅でも、大したことのない坂を登った先にあるリサイクルショップでも、延々続くただの砂利道でも、それは多くの子供にとっては冒険で、自転車はその相棒だった。

話は変わるが、私は一人暮らしである。地元からは飛行機がないと来られない場所で暮らしている。

住んでいるところは駅もスーパーも病院も徒歩圏内、住みやすくはあるが、何かが足りない。

自転車だ。

はっとした私は、炎天下の午後二時、家の近所にある中古自転車屋に走った。いてもたってもいられなかった。

「自転車ください」

汗をダラダラと垂らしながら、息を荒げてつなぎの店主に声をかける女は滑稽だっただろう。そして、この文章の冒頭へと戻る。

たった六千円で買ったこの自転車でどこへだってはいけないことを今の私は知っている。歩いても十分で辿り着ける駅も、拍子抜けするくらいゆるい坂道も、走りづらいだけの砂利道も、もう冒険ではない、くだらないものだと知っている。

それでも、銀色のママチャリは戦車だった。

あの時には存在し得なかったものと見ることがなかった景色を積み込んで走るこの自転車は、間違いなくあの時の相棒と同じだった。

ゴムが少し擦れているペダルに足を掛け、漕ぐ。夏の風が頬を掠めて、直射日光の悪魔的な温度を一瞬だけ和らげた。

帰宅後、クーラーの効いた部屋で飛行機の予約サイトを眺めながらぼんやりと郷愁の念に駆られた。今は実家に帰ることは叶わないので、残してきた自転車たちのことを思う。(実家には私の自転車が二台あるのだ。盗まれた自転車が新しいのを買った数ヶ月後に戻ってきたから)

今日手に入れた銀色でカゴが錆だらけの自転車は、あの自転車たちに勝つことはできるのか?と思う。

積んでいるエンジンは中学生の私、大学生の私、今の私。

ガソリンは何か。夢、希望、有り余る元気、あり得ないくらいのバカさ、若気の至り、将来への展望、給料、もしくはコンビニのアイスコーヒー。

家の近所が遊び場だったあの頃、数百円が惜しくて十キロも自転車を漕いだあの頃、そして数百メートル先のコンビニに行くためにノロノロと漕ぎ出す今。

思えば、自転車もないのに、ずいぶん遠いところまで来てしまった。

空を飛ばなきゃいけないところに住むなんて、あの盗まれた自転車に乗っていた時は想像もしていなかっただろう。見ているか、あの時のバカな少女よ。

私はもう大人だから、自転車がなくとも、遠くへ来られる。そして、遠く離れた場所でクルクルとちっぽけな半径数百メートルのテリトリーを乗り回す。

どこへ?そうね、取り急ぎ、近くのコンビニへ。

あの時の冒険者は今やもう二十代、夏の冒険はこの程度でいいのだ。

次の日の朝、私はさっそく中古の自転車に乗って、コンビニで菓子パンとアイスコーヒーを買った。さあいざコーヒーを飲まんと人が少ない裏道でマスクをずらすと、排気ガスと薄い草いきれ、その中を響く蝉の音に合わせて、近くの中学校の生徒の制汗剤の匂いが鼻腔を襲った。

ああ、やはりこれはどうしようもないくらい夏、嫌というほど知っている、しかし知らない自転車に乗って見る初めての夏である。私はコーヒーの蓋をむしり取って、いっぱいの氷ごと喉に流し込んだ。

表通りを中学生が歩いていく。彼らの冒険が一緒に流れていく。

いつの間にか空になったカップを錆びたカゴに投げ入れ、私は心なしかあの頃より重いペダルを目一杯漕いだ。

今、たった数百メートル分私を突き動かす黒く苦いガソリンもやはり、あの頃の自分には存在しなかったのだと、カフェインで冴えた頭が唸った。

そして、コーヒーをブラックで飲むことがまだ幾分かかっこいいと思っているバカな女は今日も、中古の戦車に乗って夏に立ち向かっていく。

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