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<1>算数①:『割合』を理解するのが小学算数の集大成(結論・帰着点)なのではないか! と思った話

現在小学5年生の娘がいます。

最近、宿題で、割合が問題になっているプリントをよく持ち帰ってきます。
百分率(%)とか、何割何分何厘とか、ってやつです。

ここ数年、気になっていたのですが、文章題の際に、数直線を引いた図を書かせる欄がわざわざあったりして、そこも埋めないと(やらないと)いけなかったりするようで、何度も何度も繰り返し「数直線」を書かせることで、理解を定着させようとしているのかな?と小学校側の意図を思わされています。

初めて数直線を書かせるようになったのは、小3頃?かな。
それ自体はとてもいいことだと思っていましたが、その数直線の書き方が指示されていて、その書き方じゃないとダメ、つまり✗、というらしく、それにはどうにも納得できなかったのを思い出します。


(数直線は、理解の助け手であって、どんな風に発想して使おうと、自由でいいじゃん)

と思っていましたから。

でも、娘は、学校で先生が教えてくれた通りに書かないとダメなんだと主張するんですね。私が書いた数直線を見て。。

もはや、数直線までもが、答えの一部であり、思考や発想の植え付けになってしまっている感があります。
でも、算数を理解する際に、ある決まった数直線の型を繰り返し書くことで、理解できなかったものが理解できるようになるなら、それもいっか、と最近は思うようになりました。というのも・・・・

そもそも、この数直線を書ける、という事自体が結構しんどい子もいるんじゃないかな? と本気で思うからです。

それはなんでかっていうと、そもそもの割合という感覚を「算数的に」(←ここがミソ)まだ理解しきれていない、あいまいな状態である、というのが小学生たちの現実なのではないか、と思うからです。

子供に勉強を教えようと思って、長年、小学算数の宿題の問題を見てきて、自分でも解いてみて、ある時、はたと気づいたことがありました。


算数って、「1」を理解することなんじゃないか?


です。

もう随分な大人になってからの気づきですが!(笑)
それを、小学生があるいは中学生が、気づいているだろうか?
少なくとも(一応中学受験もした)小学生だった私はもちろんのこと、中学生だった私も、高校生の私も、まったく気づいていませんでした。というか、考えたこともなかったです。。

まあ、裏を返せば、そんなこと知らなくても、十分、算数や数学はやっていける、解けるということなのかもしれませんね。やり方(計算方法など)さえわかっていれば。。


でも、あえていいたいのです。

これを知ってるか知ってないかで、算数がダントツにわかるようになるよ!!

ってことを。


1を理解する、って何を今更、と思われることでしょう。

1は1でしょ? それがなに?

子供のツッコミの声が聞こえてきます。


1は1なんだけど、1まとめ、1袋、1箱、というように、物事には、ある実数とは別に、「概念的な1が存在する」ということなんです。


この概念的な1 っていうのが、算数における非常に重要な理解に他ならない。この理解なしに、積み上げる学習内容は、かなり手厳しいものになってしまうでしょう。

これが中学生の数学とかで理解すればいいことなら、まあまだいいのですが。

小学生の学習内容から、この1の概念の習得の上でなりたっているので、これを理解しないと、算数ってなんなの??的な、難しいの代表格のような教科になってしまう可能性大なのです。


前置きが長くなってしまいました・・・。

要するにどういうことかと言いますと。


足し算、1+1

引き算、1−1

掛け算 1×1

割り算 1÷1


この中で、足し算と引き算は割とすんなり子供も理解できると思います。
積み木でもなんでもいいので、具体的な物で1個あったものに1個足したら2個になる、1個あったものから1個ひいたら、0になって何もなくなる、っていう理解です。

さて、掛け算で、1個のものを1個かけたら1個。

これわかりますか?

割り算、1個のものを1個で割ったら、1個。

これはどうでしょう?

言葉で言われると、あれ?なんだか深く考えれば考えるほど、こんがらがる感じを覚えるでしょう。
大人なら、実生活の中での経験値がたくさんあるので、割と抵抗なく、こんなの当たり前じゃん、と言い放てる方もいらっしゃることでしょう。
でも、小学2年生、あるいは小学3年生ならどうかな? と思うとどうでしょうか。
これ難しくないかな? と思いませんか。

そうなんです。足し算や引き算は、「実数」を基本にした計算なんで、イメージが実生活の経験とそのままで子供にも無理なく理解できるのですが、
掛け算と割り算には、「実数」以外の「割合としての数」が計算式にまぎれこんでくるので、ここをはっきり理解しないと、把握が難しいのです。

掛け算や割り算で、記号の後ろにある数字の1は、厳密には1個ではなく、
割合の1 なんですよね。

これが2 になれば、割合の2だし、3,456になれば、割合の3,456ってことです。
<掛け算>2倍、3,456倍
<割り算>2分の1倍、3,456分の1倍


でもここでさらに言うなら、その 2 や 3,456 っていう数字も実は「1」に相当しているだけなのです。

・「2」を「1かたまり」としたものをかけます。

・「3,456」を「1かたまり」としたものでわります。

ってことです。
(ただ、掛け算は、かけられる数×かける数 が基本だと思うので、
「かけられる数を1かたまり」と考える方が理解しやすいですね。)

割り算の理解でつまずく子は多いですが、難しいからですよね。
掛け算と違って、入れ替えができず、厳密に わられる数 ÷ わる数 で割り算が成り立ちます。
この、わられる数 を全体の数、わる数 を1かたまりの数、すなわち「概念的な1」ととらえられるようになると、1歩理解が進むと思います。

すなわち、割り算は、わる数(概念的な1)で、全体数を把握しなおしている、ということ。わる数(概念的な1)の何個分にあたるか、です。

つまりつまりつまり。割り算は、目の前にある実数(全体数)を、

「概念的な1」に対する『割合』で把握しなおしたい場合に使う計算式ってことなんです!


そして分数は、「わる数 分の わられる数」でも表せるものですが、それってつまり、

「概念的な1(わる数)」を基準にしたときの『割合そのもの』である!

分数は、それ自体が計算結果である『割合』を表現している数字ってことなんです!

(まあ、10分の1、とか、5分の3、とかを考えれば当然のイメージではありますが。。)

だから、分数の計算って何しているかっていうと、割合同士を足したり引いたりしている、割合同士をさらに割合でかけたり割ったりしている、という・・・割合だらけの世界の話なんですよ・・・・・・

冷静に見れば、そんなの当たり前じゃん! という多くの大人の皆様の声がふってきそうですが(笑)、子供にはそもそも何してるのかわからない状態での勉強が、一応「・・分数=割合なのか。・・割合ね。」と割合というキーワードが無意識下にでも入っていくと、そこからのつかみが算数の学習すべてに通じていくように思います。


とくに割合の文章題で数直線を書くときに、やるべきこと、やってほしいこと、はこれ。

文章題の文中に出てくる数字のどれが割合の「1」に相当する数字であるかを見つけること。

「1」が全体数の場合もあるし、「1」に相当する数を求める問題の場合もあります。

でも、「1」を見つける! と意識しながら探していくことができると、わけがわからなかった問題が、整理されてくる。数直線に必要な情報を書き入れて、問題の全体像を把握することができるようになる。式を立てて解けるようになる。

この手応えを繰り返し繰り返し、型にはまった数直線をかかせることで習得させようとしているのだと思います。学校の宿題で。

でも、そもそも、「1だよ!!」と言ってあげているかどうか。

そして、文章題では、割合の単元だけでなく、文中の数字が、実数なのか、割合としての数なのか、を明確にし、その中で何を「1」として特定し、式をたてていくか、という思考回路で整理しなおす、把握しなおす、という能力に磨きをかけていくのだと思います。

なので、算数苦手と言っている子ども達に「割合としての1の理解」を伝えられたらいいなあ、と思うのです。


とくに、小数の割り算とかになってくると、何してるのか、さっぱり・・・って状態になって、ただただ計算方法としての技術のみを習得しているような感じになってしまうと思います。
もちろん技術としての習得は必要ですが、

56.7÷9.1

という式を見て、56.7という数を9.1という1かたまりで分けたときに、そのかたまりが何個できるか、という計算をしている。

と意識して取り組むのとそうでないのとで、やっていることの意味や理解に差が出てきてしまうと思うのです。せっかくやるなら、自分のためになるようにやった方がお得です。

答えは、6.2307・・・(電卓で計算しました(笑))
あ、6個分ね、およそ。 ま、そんなもんだよね。

っていう答えの数値を見たときの確認と納得、そういうものの積み重ねがチリツモで数の世界の経験値になるのだと思います。


最後に言いたいことのまとめを。。

1が、百分率でいうところの100%、割合でいうところの10割。

これも概念ですが、この100%、10割、という『完全感』が「1」なんだ、と肌感覚で理解できるようになること・・・・それが、小学校で算数を学ぶ集大成の理解なのではないかな、と感じるのです。

大人になって社会生活をする上で、100%との相対関係で物事を把握する必要性ってあらゆるところにありますよね。

1より少ないということは、すなわち0.なにがしかの小数になります。

その数字を見ただけで、1ではない、つまり100%ではない、つまり全部ではない、という把握。

また、1を基準点に物事を把握する力を養う。何を1と見立てるか、はその状況次第。柔軟な発想力にもつながります。1は、なんにでもなれる、という普遍的な理解。

かつて足し算引き算を、積み木での実数としての経験のように理解できたように、割合の計算である掛け算や割り算のもつ意味や使い方を知るのが、小学生時代に算数を学んでおくこと、大人になっていく上で有意義な学習なのだろうと、思うのです。


余談ですが。
社会人になって、最初に勤めた会社は、システムエンジニア(SE)の会社でした。そこでは、1と0の世界、オンかオフか、ですべて表せる世界、というコンピュータの世界を初めて知り驚きました。その考え方も、シンプルだけどなにか宇宙の真理のようにも今は感じます。
恐るべし「1」の存在感。
数字の世界、仕組みって本当に奥深いように思います。その白黒はっきりしたところが私的には好きなところです。


長文を読んでくださり、ありがとうございました。
あくまで、結論はただの私見ですが、
小学生のとき、このことを理解していたら、もっと勉強がわかったかも。。というか、何を勉強しているのかがわかったかも。わかってたら、もっと問題とくのが楽しかったかも。なんて思ったもので。

算数学習の参考にしていただけたら幸甚です。


p.s.
小学5年のうちの娘は、まだまだ理解しているのか、どうなのか・・・

母は「どれが1かなぁー?」と鼻息荒いですが。。

現実はそんなもんですよね。(笑)


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