ヒーロー

「ひったくりー!」
 路上に女性の声が響き渡った。見るとバイクに乗った男がこれ見よがしに女性もののバッグを掲げ走り去ってゆく。周りの人々は呆然とし、何が起きたのか理解できていないかのようだった。いや、たとえ理解できたとしても彼らにはでも足も出せないだろう。

 思わず「やれやれ」と呟く。お手本のようなひったくり事件だ。にも関わらず被害者も周りの人々も呆然としているだけ。彼らは普段なにを考えて生きているのだろう。こんな典型的な事件すら自衛できないなんて、平和ボケが過ぎるのではないか。こんなことに付き合っていたら体がいくつあっても足りない。

 犯人も犯人だ。よもや俺の住むこの街で事件を起こそうなんて、彼もまた平和ボケしているんだろう。彼自身の防犯意識にも飽きれるばかりだ。

 ひったくり犯の乗ったバイクは赤信号を無視して交差点を左折した。そこから先の道路は少々込み入っている。追うものなどいないのに用意周到といえばそうなのだろう。

 俺は右足に力を込めた。ここからひったくり犯が左折した交差点まではだいたい500mくらいだろう。となれば5歩のうちに追いつける。なんて他愛もない事件なのだろう。

 1歩目を踏み出す。景色が後ろへと流れていく。耳元で鳴る風がうるさい。2歩、3歩目で交差点へとたどり着き更に犯人を追う。

 4歩、5歩でひったくり犯のバイクに並んだ。俺は彼に声をかけた。
「ようよう! なんでそんなことするんだい?」
「はぁ!?」

 犯人は素っ頓狂な声を上げ、体勢を崩した。バイクが横転し彼は道路へと投げ出された。

「さ、こんなくだらないことはやめようぜ」

 俺が呼びかけても男はただ驚いた表情のまま返事もできない様子だった。


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