旅館の夢
山道を車で走ること1時間。山奥の温泉にたどり着いた。平日ということもあって他に客の姿はない。聞こえてくるのは川のせせらぎくらいなものだ。1泊2日だがゆっくりできそうだ。
旅館にチェックインをし、早速お風呂に入る。湯船にゆっくり浸かるのは久方ぶりだった。
夕飯を終え、部屋に戻るともう寝ることくらいしかやることがなかった。倒れ込むように布団に寝転び、そのまま眠った。
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気がつくと俺は炎に囲まれていた。すぐ目の前でふすまがボロボロと崩れ落ちていく。吹きすさぶ熱風で息が詰まりそうだった。見渡しても逃げ道はない。イチかバチかで炎の中に飛び込んだとして、無事に外に出られるものだろうか。
腕の中の女は呆然として炎を見つめている。無感情な顔はすべてを諦めてしまった人の顔だ。こいつは、出会ってからずっとこんな表情をしていた。
徐々に炎が迫ってくる。もはや逃げようなどとは思わなかった。これが俺たち2人の選んだ道なのだから。
ふいに女がふっと脱力した。揺すっても反応がない。恐らく酸欠で気を失ったのだろう。もしかしたらもう息絶えているかもしれない。だが、そんなことを確かめる気にもならなかった。
俺も体から力を抜き床に寝そべる。こうして目を閉じていれば案外穏やかに迎えられるかもしれない。火の手はもうすぐそこまで来ているような気がした…。
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あまりの息苦しさに俺は布団から飛び起きた。どうやら夢を見ながら息を止めていたらしい。迫りくる炎は思い出すだけでも身の毛がよだつ。
すっかり目が覚めてしまったので夜道を少し散歩することにした。宿から出て山道を少し下りると、街灯の下に立つ小さな看板を見つけた。墨で書いたのだろうか、ところどころ剥がれていて読みづらい。
看板によれば、昔、近くの旅館で男女の心中があったという。2人は旅館に泊まりその晩に焼身自殺を図った。全焼した旅館は再建したものの、泊まり客の中には火事の夢を見るものが絶えないという内容だった。
俺はいても立ってもいられず、急いで荷物をまとめて旅館をあとにした。
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