世直しおじさん

 電車がゆっくりと動き出した。ぎゅうぎゅうの満員電車の中が押しくら饅頭のようになった。暑苦しくてしかたない。間違ったことばかりのこの世の中で通勤電車は最たるものの一つだ。

 やがて乗客が体勢を立て直し、密着し合っていた人々が少しは身体を動かすことができるようになった。その時、目の前の若い男に気を取られた。

 彼はせいぜい30代前半くらいと思われた。スマホで漫画を読んでいる。

 そんな彼の姿に俺はイライラとしてきた。働き盛りのいい大人が通勤中に漫画を読むなどあり得ない。そんなことよりも仕事の段取りを考えるなり何か勉強をするなりあるだろう。こういう若者ばかりだから日本はどんどんと落ちぶれていったのだ。ここはひとこと言ってやらねばならない。ここで見逃せば社会のためにならないだろう。

「おい、あんた」

 俺は彼の肩に手をかけた。振り向いた彼は驚いたような表情で俺を見た。「なんだこいつ」とでも言いたそうな目をしている。どうやら彼は、自分を「朝から変な人にからまれた被害者」として認識しているようだった。上の世代におんぶにだっこな上、ろくな努力もしないお荷物であるという自覚はないらしい。

「あのな、こんな朝っぱらから漫画なんか読んでんじゃねぇよ」
「は? いやなんですかあなた」
「俺はな、あんたみたいなのを見てるとイライラするんだ。俺の若い頃はお前みたいなやつはいなかったよ。みんな必死に朝から晩まで仕事してたんだぞ」
「はぁ…。すみません」
「すみませんじゃねぇだろ。あんたみたいなやつがいるから…」

 俺がいくら訴えかけても、彼は「はぁ」とか「そうですね」くらいしか答えなかった。全く響かない。せっかく色々と教えてやろうと言うのに、こちらが虚しくなってくる。

 やがて駅に着き電車が止まった。俺はまだ彼を説得しようと思ったのだが、彼はそそくさと電車から降りていった。ここまで上昇志向のない若者がいるとは、この国の将来がますます不安になってくる。

 乗客の乗り降りが終わり、電車の扉がまた閉まった。老若男女、様々な人が乗っているが、やはり若者たちの表情には活気がない。俺は近くにいた若い男に目を向けた。やはりだらしがない。世の中について俺がきちんと教えてやらなければならない。ここから世直しを始めよう。


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