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動物と人間の世界認識

概要はタイトルの通り、生物たちの世界認識に関する話である。
生物学者であり哲学者でもあるユクスキュルの世界観がベースとなっており、そこに著者である日高敏隆氏の思想が乗せられた内容となっている。

ユクスキュルと環世界

日高氏はユクスキュルに大きな影響を受けている。
ユクスキュルは動物が知覚し作用する世界がその動物にとっての環境であると考え、それを「Umwelt(環世界)」と呼んだ。

たとえば、虫を捕えて食べるトリは、動いている虫に反応する。動いていない虫には反応しない。トリは動かない虫に気づかないのではなく、動かない虫はトリの世界に存在していないのだ。虫が動いたときに初めて、トリの世界に虫が現れる。

日高氏の環世界観

日高氏は環世界について、「本田財団レポート No.111『環境と環世界』」の中で次のように述べている。

実際に大事なのはその環境の中にいる動物が、その中で自分のことに関係のある、意味のあるものとしてその中のものを選び出して自分の世界をつくっていることなのです。それが環世界であり、これこそが非常に大事なものという話です。

また、岩波文庫「生物から見た世界(ユクスキュル、クリサート著)」の訳者あとがきでは「主体が意味を与えて構築した世界」と表現している。

「環境」はある主体のまわりに単に存在しているもの(Umgebung)であるが、「環世界」はそれとは異なって、その主体が意味を与えて構築した世界(Umwelt)なのだからで ある。

視るということ

大学出版部協会「心の多様性 脳は世界をいかに捉えているか」の中村哲之氏の章に以下のような説明がある。

「視る」ためには、外からの光を眼から取り入れ、眼の奥にある網膜の視細胞(光を感じる細胞)で電気信号に変え、脳に送ります。 そして脳で複雑な処理をすることで、「視る」ということを実現しているのです。ここで重要なのは、「視る」ということがこうした眼から脳に送られるまでの情報処理の結果経験される「主観的」な体験だということです。「視る」ということは絶対的なものでなく、自分が視ている世界は唯一のものではありません。

私たちが見ているものは、脳が眼から取り入れた情報を効率的に、少し悪くいえば都合よく処理した結果なのだ。脳は大量の視覚データの中から、自分にとって大切なものを選び取って「視ているもの」として認識する。
この話が環世界と繋がったとき、一気に腑に落ちた気がした。

視覚と世界認識

「視ているもの」が異なるということは、世界の認識が異なるということでもある。世界が異なるということ、視ているものが異なるということは、重要なものや大切なものが異なることと同義だ。

トリにはトリの世界があり、ネコにはネコの世界がある。
個体ごとにも世界がある。
自分と自分以外が認識している世界について考えると、何だか楽しいし、そういう視点をいつでも思い出せるようにしたい。

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