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休職中の話2「自分を殺してまで人の役に立とうとしなくてもいいんじゃない?」
休職して2カ月弱が経ったころ、会社で同じチームだった先輩が、休職中の私を気遣ってごはんに誘ってくれた。
先輩といっても年は8つほど離れているけれど、会社に行けなくなった理由や、働いているときに感じていたことを細々と話すと、責めるでもなく深入りするでもなく、ただ頷いて、つらかったねと言ってくれた。
お酒が飲めないのに居酒屋に付き合ってくれた先輩は、いくらかアルコールを摂取してようやくまともに喋り始めた私の話を一通り聞いてくれたあと、ウーロン茶片手にこう言ったのだった。
「自分を殺してまで人の役に立とうとしなくてもいいんじゃない?」
手元のハイボールが揺らいだ。そうだった。
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私が働いていて苦しかったのは、「チームに今必要とされている人物像」が、自分とはまったく真逆だったからだ。
チームの事業状況は悪くなく、動けば動くだけ結果が出るサービスだった。
質より量を優先すれば、数字は上がっていくはずだった。(その数字の本質的な良し悪しは別として)
そういう、「量をこなせる人」に、私はどうしてもなれなかった。
扱うサービスの特性上、「考えるより先に行動する人」が、チームを引っ張っていくのが最も結果を出すのに最適だし、役職的に考えると私がそれをしなければいけないと感じていた。
けれど、私はどこまでいっても「行動するより前に考えすぎる人」だった。
この性格自体が悪だとは思っていないけれど、チームの数字を上げる、という目的においては、私の性格は障壁だった。
チームの数字の責任の一端を担う立場にいるからには、手っ取り早く数字をあげられる人間にならなければいけないと、半ば無意識に思っていた。
ただ、そうなるには自分の人格を180度変える覚悟が必要だった。
「だった」と過去形にしてしまっている時点でバレバレなのだけど、結論、できなかった。
「仕事用の自分」という第二人格を形成できるほど器用ではないし、そもそも新卒1年目でそんな芸当ができるならもっと早くにいろいろと割り切れていたはずだ。
とにかく、無理だった。
性格はそう簡単に変えられなかったし、業務量をこなすので正直精一杯だった。チームとして、失敗してもいいから無理やりにでも突っ走ってみよう、という雰囲気でもなかった。
(失敗したら自己責任で誰も助けてくれないだろう、という意識がどこかにあったのは、私がチームや上司をあまり信頼できてなかったからかもしれない。)
そんな状況だったので、チームのために役に立ちたいという思いに急き立てられながらも、自分の性格をねじ曲げて突っ走る勇気も出せず、いうことをきかない自分と、変わらない数字に、全身引きちぎられるような心地だった。
そしてさらに悪いことに、「役に立っていないとその場にいてはいけない」という、厄介な価値意識が私にはある。
これはもう、幼少期からの色々な経験が災いして、直そうにも簡単には消えてくれない呪いみたいなものなので追及は勘弁してほしいのだけど、とにかくその意識のおかげで、私の精神はさらに坂道を転げ落ちていった。
チームに最も貢献できるであろう人物像になれない自分は、社内やクライアントの役に立っていないのではないか?
こんな私が役職についていていいのだろうか?
私はここにいていいのだろうか?
そんな風に、日を追うごとに視野が狭くなり、自分で自分の居場所をなくしていき、ついに会社に行けなくなってしまった。
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「自責の念がすごい。ネガティブのカリスマ」
使いどころのないLINEスタンプみたいな返事が来て、私はつまんでいた鶏天を刺身醬油の小皿にぶち込んでしまった。
先輩がウーロン茶をカラカラ揺らして笑った。
「意外と承認欲求が強いタイプなのかもね」
慌てて鶏天を救出しながら、力なく頷いた。
自分で自分を認められないがゆえに、あなたが必要です、助かってます、と言われる環境でないと安心できないのだ。
自分が必要とされている感覚を得られないとすぐに不安になってしまう、わがままで面倒くさい性格。早急に鈍器で強めに頭を殴ってほしい。
「いいんじゃない? それでも。役に立とうとすることは悪いことじゃないし。ただ、自分を殺してまで人の役に立とうとしなくてもいいんじゃない?と思う。もっとそのままで生きていいと思うよ」
ていうか、あなたが役に立ってないなんて誰ひとり思ってないからね、と、つけあわせのキャベツを箸先でくるくる巻きながら先輩がまた笑った。
その言葉にほっとした反面、これを仕事をしている時に聞けていれば何か違っていたかもしれない、というむなしさもかすめた。
何と返していいかわからず、お礼を言うのも変な気がして、私も黙って笑いながら、ほとんど水みたいなハイボールを飲むふりをした。
それから2杯目のウーロン茶を頼んだあたりで、先輩は「自分のせいであなたの負担を増やしてしまった」と後悔していることを打ち明けてくれた。私にはそれが一番の衝撃だった。
聞けば、先輩はずっと、社内で私と比べられていたらしい。
厳密には上司から、役職にあげるのは私か先輩か、という軸のもと、比べてるから頑張れ、という話をされていたのだと。
もともと先輩は役職につくことを目指していたようだったから、上司のそのマネジメント方法はある意味では効果的だったのかもしれないけれど、初耳だった私は、いたたまれない気分になった。
あまり健全ではないなと、思ってしまった。
真っ向から他人と(しかも8歳下の新卒と)比べられて、先輩はどう感じていたのだろう。
先輩は中途入社で、社歴でいえば私と数カ月ほどしか変わらなかったから、比較対象が私になるのは仕方がなかったのかもしれない。
しかし結果だけ言えば、私のほうが役職にあがることになり、先輩の頑張る理由は無くなってしまった。
鼓舞する理由がなくなった上司も、先輩を徐々に詰めるように。
先輩がその後どんな思いで仕事をしていたのか、私は怖くて聞けなかった。
「まあそういう状況だったからさ、あなたがチームを引っ張ってくれてるのに、乗っかっちゃったんだよね。頼りすぎちゃってた。ほんとは乗っかるんじゃなくて、一緒に進んであげられたらよかったのに」
負担増やしちゃったね、と、申し訳なさそうに笑う先輩に、私はまたしても言葉が見つからず、馬鹿みたいに首を横に振るしかできなかった。
むしろそんな状況だったにも関わらず、結局だめになった私を気遣って声をかけてくれ、包み隠さずに事実を伝えてくれた先輩を、私は尊敬する。
もし逆の立場だったなら、私は声をかけたかどうかすら怪しいし、会って話したとしても、「1年目だしやれることやれないことあるよ」とかなんとか、適当なクソマウンティングをかましていたかもしれない。
さっき刺身醬油まみれにしてしまった哀れな鶏天を見て、それがなんだか自分と重なった。ぼんやりと先輩の言葉を反芻する。
自分を殺してまで人の役に立たなくていい。
自分の心に嘘をつかずに、等身大で接してくれる先輩は、確かに私の救いになった。
周りを信じず、自分を殺しかけながら役に立とうとしていた私は、きっと周りからしても何を考えてるのかわからない、手の差し伸べづらい人間だったことだろう。
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「営業やってて、ひとつ好きな言葉があってさ。笑いながらゲロ吐ければいいよね、っていうの」
どういうことですか、と聞き返しながら、私は目の前にあった山芋とチーズの鉄板焼きをそっと横によけた。どう考えても食事中に言うことではない。
「要は、苦しんでることも楽しめればいいよね、っていうことなんだけど。今きっとすごく苦しくて悩んでると思うんだけど、苦しい事実は同じでも、それを抱えて沈み込むかどうかは別だから。……まあ、そんな簡単にいくわけないのはわかってるんだけどね……割り切らずにきちんと悩めるのがあなたのいいところで、周りから信頼される理由であり、キャラクターだと思うから」
先輩の言葉は、IQOSの煙にのってふわふわ流れてくる、ともすればすぐに消えてしまいそうな何気ないものだったけれど、きちんと覚えていようと思った。
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結局、先輩は最後までウーロン茶だったし、完全シラフの状態でゲロの話を持ってきたあたりやっぱりタダモノではないと思う。
まあでも人間、それぐらい適当でいいのかもなあと、改札を抜けていく先輩の背中を見送りながら、ちょっと笑った。
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