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休職中の話5 親友が治してくれた悪癖


つらいときや苦しい時に、いつも助けてくれる親友がいる。

彼女とは大学時代からの付き合いなのでまだ出会って5年弱ほどだけれど、お互いに信頼しあって何かと相談したり手を差し伸べあったりする仲だ。

表面上、彼女と私は、正反対のように見える。
基本スタイルが前向きな彼女と、後ろ向きな私。

しかし不思議と、根底の価値観や使う言葉の解像度、会話の深度がぴったり同じで、何をやっても何を話しても、誤解やすれ違いというものが少ない。

まるでパズルのように、お互いの凹凸がぴったりと補完しあっている。

後ろ向きすぎる私が普段よりさらに落ち込んで沈み切っているときに、彼女は持ち前の冷静な前向きさで私の認知の歪みを正して楽にしてくれる。

逆に彼女が前向きになれず苦しんでいるときは、後ろ向きな私がクッションになって話を聞き、彼女が自分に納得して前に向かえるまで隣で待つ。

そんな風に、これまでお互いを救いあってきた。

いわゆる「波長が合う」というやつなのだろうが、それ以上に「誤解せずに聞いてくれる、理解しようと努力してくれる」という信頼感のうえに成り立つ貴重な関係だ。

そんな彼女のことを私は心底尊敬しているのだが、特に彼女が普段からやっている習慣がすごい。

そんな彼女のとある「よい習慣」のおかげで、私の「悪い習慣」が治りつつあるという話をしようと思う。

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彼女の「よい習慣」とは、いわゆる日記だ。

毎日、365日、自分のやったことや思ったことをスケジュール帳やノートに書き留めている。それも時間単位で、びっしりと。

言葉にすると簡単だが、実際に毎日欠かさずやるのは本当に難しい。
特に私は長続きしないタイプなので、それを昔から何年も続けている親友を本当に尊敬している。

休職期間も半ばを過ぎた頃、大阪にいる彼女のもとへ東京から会いに行ったことがある。その日も彼女は変わらず、ノートを書き続けていた。

彼女のノート術の良いところは、その日にあった「嬉しかったこと」を別で集めて書いているところだ。

普通の日記帳だと、(私もそうだったのだけれど)いいことも悪いことも、惚気も愚痴も、ごっちゃにして書くことが多い。
私の場合は特に、つらかったことや苦しかったことのダメージ比重が大きくて、日記をつけていてもついつい悲しい吐露が増えてしまう。

だから自分の日記はあとから見るに堪えなくて、結局続かなかった。書けば書くほど、読み返せば読み返すほど、自分がすり減っていく気がした。

しかし、彼女のやり方を真似れば、ノートには「いいこと」「嬉しかったこと」しか残らない。読み返せば暖かく、だからこそ続く。

「残す」ということの意味を、私は勘違いしていたのだと、そこで気づいた。

彼女は、昨日の自分や、1年前の自分が何をして、何を思っていたかを忘れることが怖いのだと言っていた。

幸せだったことや、誰かを思いやる言葉、誰かからもらった優しさをとても大切にする彼女らしいと、そのとき思ったのを覚えている。

その日から、私はまた日記をつけることを始めた。

手書きで小さな手帳に毎日つけている「良いこと」日記は、今もずっと続いている。

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彼女が私の親友たる所以は、私のいいところも悪いところも、率直に指摘してくれるところだ。

彼女が指摘してくれた私の悪いところの中でも、特に深く納得したことがある。

私が休職期間に入って半月ほどした頃、彼女に「休職が長引けば長引くほど、世の中に取り残されていく焦燥感で延々と不安が募る」とラインしたことがあった。

すると彼女から、「病む理由をわざわざ探して安心しようとしているように見える」と返ってきたのだ。

彼女いわく、後ろ向きで不安定な状態がデフォルトの私は、ストレスのない環境にいるのに違和感を抱いて、不安定になる別の原因を探しているんじゃないか、と。

こんな直球に図星を指されても平気な人物は、後にも先にも親友の彼女だけだと思う。

彼女以外に言われていたら、私は速攻でラインをブロックしてスマホを窓から放り投げていたかもしれない。
(※もちろん彼女もここまで辛辣に言うのは珍しい。普段は本当に優しくて思いやりのある、心の広い人である。)

私はそのとき、致命的なダメージを受けつつも、心の底から納得し、反省したのだった。

ほぼ無意識に、自分が病む理由を探しているかもしれない。

それに気づけたことは、私の中で大きな変化だった。

そうじゃない人から見れば信じられないと思うが、私はよくつらかったことや気になること、プレッシャーになるようなことをひとりで思い出しては、沈んだり泣いたりしている。

後ろ向きがデフォルトなので、変なことを言うようだが、無理して前向きになるより沈んでいる方が楽なのだ。エネルギーを使わないから。

そうやっていつのまにか、自分で自分を傷つけるという精神的自傷行為で、私は日々のストレスを処理していた。

そんな自分がいたことに気づけたのは、紛れもなく親友のおかげだ。

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良かったこと、嬉しかったことを中心に日記を毎日つけるようになって、私の精神的自傷癖は少しマシになった。

何気なく過ごしていた日々でも、天気がいいとか、落とし物を拾ってくれたとか、メルカリで物が売れたとか、そんなありきたりで小さな幸せがたくさん詰まっていた。

日記の文量は、日に日に増えていっている。

そして、日々生活する中でも、意識して幸せを見つけて覚えているようになった。あとで日記に書けるように、と。

自分のポジティブな心の動きを見落とさずに、大事に残しておくことが、何よりの薬になる。

自分自身を守るため、もあるが、私にとっては、周りの人の優しさや日々の小さな幸せを忘れないため、のほうが正しい。

つらいことやプレッシャーに圧されて、確かにあったはずの誰かの思いやりや幸せを忘れることが、今となってはとても怖い。

日々を大切に生きるということが、自分と周囲を守ることになるのだと、親友は私に教えてくれたのだった。

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