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休職中の話0 何もかもできなくなった夜、文章を書きたいと思った



※休職期間に入った直後に書いた文章。そのままなのでお見苦しいですが、それが当時の自分だったのだと思う。



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社会人10か月目の現在、メンタルと体調のコントロールを失い、何もできなくなっている。

会社に行けず誰にも会わず、食事すらまともにする気にならず、かといって眠ることもできず、ベッドでスマホを握りしめて丸まっていた。さっきまで。




何もできなくなった私をベッドから引きはがしたのは、文章を書こうという欲求だった。

薬を求めるのに似た感覚だった。
あるいは二日酔いでふらふらのままトイレに籠るのと同じような。

生理現象に近かった。

それ以外考えられなかった。今の状況で、自分が自分のためにできる最善策はそれしかなかった。
何もない情けない自分が今唯一できるのがそれだった。

藁にもすがる思いで、机に開きっぱなしだった会社用のPCを壊れる寸前の勢いで閉じて、引きずり降ろして、私用のSurfaceを引っ張り出して、開いた。

深呼吸した。ちょっと泣きそうになった。
今まで散々泣いたのに。

自分の心の中にあるものを頭と指を通して外に出す、文章を書くということを、長らくしてなかったのだと気づいた。

仕事もうまくできず、自分の精神も体調も制御が利かなくなって、何もできなくなった自分にも、まだ生み出せるものが残っていたことに、震えた。

大げさだと思われるかもしれないけれど、本当に涙が出た。
何も生み出していないし社会に何の貢献もしていないけど、それでも自分の指でキーを叩いて、1つ1つの文字が、何らかの意味を持って文になって、白紙を少しずつ埋めていくのが、びっくりするぐらい尊いものに見えた。

情けない吐露を連ねるだけの文章を、こんなに愛しいと思ったことはなかった。
文章を書くことが好きだし、自分が書く文章が好きだし、文章を書く自分が好きだ。
それだけだ、今の私にある自尊心は。

それだけでいいやと思った。もともと、私は自分を肯定するのが苦手だ。
自分に関わることで、好きだと思えることは、少ない。

仕事でも、認められたことに対して素直に受け入れられなかった。

認められたという事実はわかっている。
特に大きな実績もないこんな新卒の甘ちゃんに対して、きちんと定性的な部分を評価してもらえた。数字ではなく、顧客に感謝されることに価値があるという素敵な言葉もいただいた。社会人1年目で初めて自分の価値を言語化してくれたこの言葉を、私は今後忘れることはないだろうと思う。

そこまで成長させてくれた上司やチーム、同期、取引先には本当に感謝している。
入社半年で昇格させる判断をした上司含むマネージャー陣のことを素直にすごいと思うし、そんな会社で1年目を過ごしているのだと実感もした。
新人王をもらえたのも、私ではなくチームと上司の功績だと本気で思っている。

私はただ、地図をもらいながら、その通りに迷路を進んでいただけだ。いつのまにか道が開け、明るいゴールをしていただけだ。

人に恵まれ、環境に恵まれ、タイミングに恵まれた。
本当に感謝しているし、恩返しをしなければと思った。

でも、大きく評価され、身の丈に合わないイメージや立場を実感するたび、胃をぎゅっと掴まれるような気分だった。

認められた部分よりも、期待されている部分を強く意識してしまうせいで、もらっている評価やイメージに自分を合わせていくようになった。
あてられる光が明るすぎるぶん、影になったプレッシャーは暗くて重かった。

私は何を求められているのか、会社は、チームは、取引先は、私にどうしてほしいのか、どうすれば評価と身の丈を合わせることができるのか。

もともと自分に自信がない分、もらった評価や立場を堂々と言えるようになろうと必死だった。
よく言えば期待に応えようともがいていたし、悪く言えば周りを気にしすぎて背伸びしていた。

結果、何もできなくなった。

びっくりするほど何もできなくなった。

やるべきこと、やりたいこと、やらなくていいこと。

全部わからなくなった。

残業で睡眠時間を削りつつ、常に「やらなくては」という義務感がつきまとい、「営業」という性格上最も苦手なものをやるストレスが日に日に増し、それでも立場と完璧主義な性格から周囲へ頼れないままずるずると背負い込み、社内も社外も気を遣いすぎて毎日へとへとになった。

ここ数日の東京の天気と同じ、がたがたと崩れるメンタルと体調に引きずられ、自責でぺしゃんこになり、周囲のフォローが塩のように染みた。

月曜日の朝には必ず吐き気がするし、出勤途中でめまいがするようになった。

意識を飛ばすように寝る日と、朝5時まで眠れない日が交互に来た。

会社でわけもなく涙がとまらなくなり、会議のあと駆け込んだトイレから数十分出られなかった。

自分に向けられる視線や声から異常な値のダメージを受け、委縮し、評価を恐れて、自分がどんな顔をしているかもわからなくなり、会社でマスクが外せなくなった。

情けない。そして、恥ずかしい。

本当に色んな意味で。

新卒1年目の苦労なんて、よくある話だ。
そんなのでここまでボロボロになるのは、自分の心が弱いからじゃないか、って、何度も打ちのめされた。

同期だって違うストレスの中、毎日頑張っている。
上司はもっともっときついストレスの中、自分をコントロールして働いている。

世の中の人みんな、頑張っているのに。

私は、どうだ。
できることに集中するより、できない部分を指摘されるのが怖くて、弱くて、逃げている。
自分の強みも、役割も、やりたいことも、全部が曖昧なまま。

「間に合わせる」だけの仕事をしているね、って、取引先に言われたことは、今でも鮮明に覚えている。

考える材料も余裕もなく、自信もなく、意見が言えなくなって、「伝書鳩じゃん」って言われたことも、図星すぎて忘れることができない。

今の自分のことを好きになれる可能性は、一生無い。


私がなぜ広告業界を選び、この会社に入ったのかは、明確だった。

いつかメディアを作るため、広告と営業の知識を最短で得る。

そのために、わざわざ性格に合わない営業職を選んだ。
理由は明確だったが、その選択は思っていた以上に過酷だったのだなと、今になって思う。

自分の得意なことではなく、苦手なことを仕事にしているのだから、当然だ。
思えば、お金をもらいながら自分の苦手を克服しようとするのは、ちょっと欲張りすぎる気もする。

そして何より、「頑張らねばならない」のがつらい。
「頑張るためによいしょがいる」うえに、「無理して頑張っても結果に繋がりづらい」のが「苦手」というものだ。
そんなことを仕事にしていたらストレスも増えるに決まっている。

ストレス耐性の低い私がそんな選択をしてしまったものだから、今こうなっている。

言い訳だと思われても仕方ないし、実際言い訳なので開き直ろう。
営業は苦手だし、今の仕事は苦行だ。テレアポも新規提案も既存営業も社内会議も、自分の人格を変えないとやってられない。

そんなことはわかっていた。やる前から向いてないだろうなと薄々感じていたし、自分に足りない部分だと思っていたからそれも仕方ないだろうと。
苦手と思っていても実際やってみないことにはわからないので、試しに10カ月やってみたら、本当に苦手だった。それだけのことだ。

問題は、苦手を埋めることが、今後の自分のために本当にベストなのだろうか、ということだ。

自分の能力値できれいなレーダーチャートを作ったところで、社会は、人は、私に仕事を任せたいと思うだろうか。

なんでもそこそこできる人より、これだけは世界一の人、のほうに任せたいというのが人の心理ではないだろうか。

何より、苦手を克服した自分を、私は好きになれるだろうか?

周囲がそれによって何かメリットを得られるだろうか?
苦手を克服するより得意と好きを素直に伸ばした方が、私が本来やりたかった文章やメディアの仕事に、案外近づけるのではないか?

私が苦手を克服しようと思った背景には、「他人を信用しない・頼らない」「なんでも自分1人でやろうとする」という私の根本的な悪い癖が影響しているのではないか?


過去の自分を呪うわけにもいかないので、今とこれからをどうするかを、きちんと考えようと思う。

気づけば3000字を超えた。また次の時間に考えよう。

このnoteが、いつか元気になった私が見たときに、心底笑えるものであってほしいと思う。


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