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十円と二千円の かみさま

ーーどこに住んでも、何を信じてても、神さまのひとつやふたつ、誰しも持ち合わせてるものだ。

えっと、神さまのつくりかたは知ってる?難しくなんかないよ。

ときどき、いつ入れたか分からないものがポッケに入ってる。そんな経験、誰にだってあるでしょ?まるで、わたしに会いたかったかのように、わたしの手の中に現れる瞬間。

リサイクルショップで買った服にたまたま、何でもないクリップがひとつ入っていたり。道を歩いていたら、たまたま落ちていた石ころが夕日に照らされ、ひとつだけ輝いていたり。

その瞬間を拾い上げるかはどうぞご自由に。だけど、そのひとつひとつが実は神さまの卵、なのかもしれない。

さ、今日はそんなわたしだけの神さまのお話。

ひとつめ、傷だらけの十円玉。

その昔、高校卒業したころだったか、ハタチを過ぎたころだったか、はっきり思い出せないけど、自分に鞄を買った。革のポシェット。そんなに高くない、たしか一万円ちょっとだった。でも、そのときは高く感じたな。

そのポシェット、ずっとずっとお気に入りで、海外旅行にも海外暮らしにも持っていった。あるカフェで居合わせた女の子に、「エクスキューズミー、その鞄はどこのお店で買ったの」って声をかけられて「日本で買ったもの」と答えたときは、すごく鼻が高かった。

そのポシェットには、内側にポッケが付いていて、片方はちいさなメモ帳が入るくらい、もう片方はペンが二、三本入るくらい。真ん中で縫い付けられて仕切りがふたつに分かれてた。

ある日、もうとっくに日本に帰ってきていたときね。わたしは入院してて、そのときもポシェットを肌身離さず持ってた。どんなきっかけだったか、その日の天気も、そのときの時間も忘れてしまったけど、ポシェットの小さい方のポッケの中に、傷だらけの十円玉が入っているのに気づいた。

それは、それは、傷だらけ。スパイクで踏んでも、ハサミで切ろうとしても、何度も何度もしたってこうはならないだろう、傷。なんでここに?って振り返っても、もちろん分からない。こんなに長い間ずっと一緒に過ごしてきたのに、わたし気づかなかったよ。

と、ここで、はたと思う。気づかなかったんじゃなくて、もしかして、この十円玉、いまわたしに会いたくて出てきてくれたのかな。

子どものころ、本の中に書かれてた、ボロボロになった紙幣や硬貨は交換してもらえるのかっていうのを読んだことがあって、たしか硬貨は傷だらけでも交換できるって書いていたのを思い出した。この十円玉は、こんなにボロボロだけど、今年発行されたピカピカの十円玉とおなじ価値があるんだ。

それがまた、十円っていうのがいいでしょ。「あなたには価値がある」なんてキラキラした文脈で使われる、いわゆる価値、なんかじゃない。不意にあらわれたこのロックな十円玉に、痺れて、感動してね。わたしそのとき、すこし落ち込んでたから。

そこから、一日に何度もポシェットのポッケから出しては、ギュッと握りしめて、入院生活を過ごした。そのときから、この十円玉はわたしの神さま。いまにいたるまで、わたしはずっと勇気をもらってる。

そうして、自分だけの神さまと出会ったなら、居場所を準備してあげないと。

お部屋に神棚を作る。難しく考えなくていいよ。自分が特別だって思う置き場に置いて、飾る。毎日手を合わせるとか、お決まりの作法は何もない。自分だけの神さま教だから。ときどき、思い出して。もちろん実際に目で見てもいいし、頭で思い描くだけでもいい。このおかげですこし頑張れるなって思えれば、それだけでいい。実際、こうして書いたこの文章は、れっきとした神さまへの祝詞。

わたしの神棚にはまだまだほかにも神さまがいて、高校生のころ山で拾った鹿の角、家の近くの道で拾ったイノシシの頭蓋骨、ずっと色褪せないスターチスのドライ、山で拾った仮面のような木の皮、など。

そんな神棚に、このあいだ新メンバーを加えたくなった。古物屋さんで見た二千円のフグの皮。すごくすごく欲しかったけど、我慢した。次に出会えたら、今度こそ新メンバーに加えたい。

そう、必然、偶然、どちらでもいいのだ、神さまとの出会いは。

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