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タグの追加はどうしたら?

noteを始めて3日。なんとなく今は家を出て、どこかしらのカフェでひと息つくこのときに、こうしてつらつらポチポチするスタイルが続いている。

こうして自分の気持ちを表現してみると、私は積極的に考えを発信したいタイプだったんだと気づく。みんなにこの思いを知ってほしい。それがなにか周りに影響をもたらすことになんかなれば、それ以上の幸せはない。というのは言い過ぎだけど。


とにかく幼い頃からよく喋る子供ではあった。外でも内でもよく喋った。語彙が乏しいので、歌を借りて気分の高まりを表現したことだって少なくない。明るく、快活、活発なおてんば娘。ちびまる子ちゃん、と呼ばれてたこともあるらしい。

だから学校でも積極的に発言していたと思う。先生と話すことも好きだった。そういえば、中学3年のときは生徒会長に立候補した。

世間知らずが自分の主張をつらつらと、そして堂々と、誇らしげにあらゆる場面で述べていたことを振り返ると、悍ましい。とても恐ろしいことだ。どんな矢が飛んでくるか、今の自分だったらそう思う。

でも、あの時は違った。自分の主張に矢が飛んでくるなんて考えもしなかった。飛んでくることもなかった。と記憶してる。

それは思考の未熟さがそうさせたのか。ただ目立ちたい、先生に褒められたいだけで、自分の主張が周りにどんな影響を与えるのかなんて考えてもいなかった。深く考えなければ、行動に起こすのも簡単なように思える。が、そもそも矢が飛んでくるなんてことを心配する必要がなかった。このことが重要だ。あの時の私は否定されることはない、と確信していた。私はステージに立って意見を発表していい存在だ、と感じていたのだ。

前に立って話す人からは聞いている人の顔がよく見える、というよくある当たり前な話。興味がある、興味がない、賛同する、反対だ、どうでもいい、はやく終われ。聞く当人が意図する以上に前に立つ人は反応を読み取っていると思う。

そんな状況を経験した私がいたということ。それでも恐れず、堂々と、自分の主張を述べていた自分がいたということ。そして、そうしたいと思う気持ちは何年経っても変わらなそうだ。

私は私の主張を述べたい。どうせなら、私の主張に耳を傾けてくれる人が増えてほしい。もっといえば、私の主張が社会や世界を変化させられるのではないかと期待している。いつか、そのうち、どこかで。そうなりたい、と願っている。

だから、noteを始めた。湧き出る気持ちを思いのままに、吐き出せそうな場所を見つけたから。ここなら、今の自分でも主張をつらつらと、そして堂々と、誇らしげに発信できる。

それで、それだけでは満足できなくなりそうで。これを見た人の反応が知りたい、と思うようになった。(たった3日で。どれだけ目立ちたいのか、自分でも驚きを隠せない。)

と思ったときに、問題発生。タグ追加したいのに、しようとしてるのに、できない。なぜ。

私はこのままずっと、 #つれづれなるままに  のタグで投稿し続けるのか。それも悪くないけど、兼好法師の熱狂的ファンじゃないから気が引ける。

タグの追加ってどうしたらいいの?

調べて、聞いて、やってみないとわからない。勉強しようって話。

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