高齢の母との距離:アメリカでの生活と涙
コロナのパンデミック中、私は日本に帰ることができませんでした。
ほぼ毎日、スカイプで顔を見ながら話しをしていたので、母は元気にしているものだとばかり信じていました。ところが、昨年末に帰国すると、母はすっかり変わっていました。
今までも、久しぶりに会うと「小さくなったな」とか「年老いたな」と感じることはありましたが、さすが4年近くの隔たりは大きなものがありました。
一日数分のスカイプではわからなかったことが次々と出てきました。
同じことを何度も言うこともありますし、話がなかなか噛み合わないもよくありました。
それに、とても怒りっぽくなっています。何がトリガーになるのかは、全く見当がつきません。小さい頃は「あ、これをしたら怒られるな」という予測ができましたが、今は本当に些細なことも逆鱗に触れることがあります。
今まで聞いたことのないような怒りの言葉が、母の口から次々に出てきます。それは、母からは聞きたくないような言葉ばかりです。
でも、その怒りも、一晩経つとケロッと忘れてしまっているのです。
あれほど上手だったお料理も、まったくやる気がないようです。普段はご飯は自分で炊くようですが、おかずは高齢者用の宅配弁当なども利用しています。
82歳の母は、高齢者施設にはどうしても入りたくないと考えているので、今でも一人暮らしを続けています。
日本滞在最終日、ふと「母は、これからも一人で暮らせるのだろうか。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の高い生活を送ることができるのだろうか」と考え始めると、思わず涙がこぼれ落ちました。
本来なら娘である私が側にいて一緒に暮らすのが一番いいはずですが、生活の基盤がアメリカにある私にはその選択もできません。どうしようもなジレンマに落ち入り、涙はいつの間にか慟哭に変わっていました。
今は、ヘルパーさんに週2日来てもらっています。私とのスカイプも週2~3回と減りましたが、続けています。元気のない日も多いのですが、なんとか一人暮らしをしています。
冬に帰るときには、一緒に美味しいものを食べに行ったり、母が大好きな観劇に出かけたりしたいと思っています。
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