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日本滞在中のゴミ出しがストレスだった

2023年、日本で新年を迎えました。たぶん20年ぶりくらい。日本に帰るのも久しぶりでしたが、新年を迎えるのはもっと久しぶりでした。

今回の日本滞在の目的は、年老いた母と新年を迎えること。久々に帰った自宅は、きれいに掃除されているものの、不要なものがかなりありました。8年前に他界した父の洋服など含めて、かなりの量。

押し入れや引き出しを開ける度に、不要なものが目に入ります。きれいに折りたたんだ包装紙や紙袋も山のようにあります。

あちこちの扉を開けては、中に入っているものをすべて出して、いちいち母に「これ要るの?」「あれは?」と尋ねながら、処分していきます。

が、ここで悩んだことがありました。

私が日本から海外に出た1980年代には、ゴミの分別というものはまったくなく、ゴミ箱は1つ。生ゴミも紙のごみも古着も全部一緒に捨てていました。ビニール袋は青色、しばらくすると黒色が主流だったと思います。

1990年代に東京の友人の家に泊まりに行ったら、缶類は別ゴミとして出していて、びっくりしたことを覚えています。

が、今の日本はもっと進んでいるようで、実家のある大阪市では

  • 普通ごみ

  • 容器包装プラスチック

  • 資源ごみ

  • 古紙・衣類

の4つに分かれていました。

日本に長らく住んでいない浦島花子の私には、何が普通ごみで何がプラスチックかまったく理解できません。資源ごみとなると、なんのことだかさっぱりです。

プラスチックでできているものなら、なんでもプラスチックごみの日に出していいのかと思っていたら、どうもそうではなさそう。カバンは衣類なのか普通ごみなのか、悩ましい問題でした。ましてや、壊れた体重計は捨てていいのか、それとも粗大ごみなのか。

最近の容器包装にはプラスチックのロゴが印刷されていますが、昔のもの(実家には昔のものが山盛りです)にはついていません。また、プラスチックのロゴの後ろに「PP」とか「PE」とか「PS」とか書いてあって、まるで学生時代の化学の時間。

高齢の母は、わかっているようなわかっていないような。あまりはっきりした回答が聞けなかったので、こうなったら頼りになるのはミスターGoogleです。

その結果、プラスチック製品だからといってプラスチックの日に出してはいけないものもあることが判明して猛省。「資源ごみ」というのは、英語で言うと「recycable waste」で、「リサイクルできるごみ」ってことなのですね。なぁ〜んだ、最初からそう言ってくれればわかるのに。

その後は、お菓子を食べるために袋を開けて、いちいち包装紙を調べて、「紙」か「プラスチック」か識別。母は、「小さいのはいいのよ」と結構いい加減ですが、私は「だめ! これはプラスチックよ」と、すっかりごみポリスと化していました。

何のゴミかわからなければ、「大阪市 ごみ分別事典」で検索したり。どのゴミ箱に捨てるのか、血眼状態でした。2週間ほど滞在すると、なんとなく何がどのごみなのかもわかってきて、スムーズにゴミ捨てができるようになってきたとは言うものの、日本滞在中はずっと神経を尖らしてごみの分別をしていました。

ハワイの自宅に戻って、スーツケースの片付けをしながら、日本で買ったお菓子をつまんだりしていました。そして、包装紙を捨てようとしたときに、何も考えずに自然に「えっと、この包装紙は紙? プラスチック?」とロゴを探す自分にびっくり。思わず笑ってしまいました。

ハワイは、ごみを燃やさずに埋め立て処理するので、基本的にはごみの分別はせず、すべて同じごみとして捨てていいのです。(厳密には、木の枝など、空き缶や空き瓶や新聞もリサイクルとして出せますが、必須ではありません)

ごみ箱にごみを捨てる前、何も考える必要がなく、ポイポイと捨てられるという自由! 2週間滞在した日本でのごみ捨てがどれほどストレスになっていたか。日本では「浦島花子もやらなきゃいけないのよ!」と、ストレスをストレスと思えないほど必死でした。

ごみ捨てという、ほとんどの日本在住者なら問題なくこなせている小さなことで私が感じたストレスは、本当に些細なことです。でも、その渦中にいると、それがストレスだとはまったく気付きませんでした。もしかしたら、これってよくあることかも。

そんな小さくて些細なストレスが、塵も積もれば山となって、爆発するのかも。今の世の中を生き抜くためには、日頃から物事やストレスに敏感になって、予防線を張る必要があるのかも。

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