見出し画像

#4 「建長寺管長 吉田正道氏に学ぶ、『自分自身を見つめ、磨くことで、人間力を高める』」

 私が建長寺に入って、約40年が経ちます。現在は、建長寺の住職であり、臨済宗建長寺派の管長を務めています。

 日本で初めて「禅寺」と称した、中国宋朝風の臨済禅だけを修行する禅宗道場ということで、鎌倉の中にあっては日本の文化を発信する中心的な拠点としての役割が建長寺にはあります。

 とはいえ、以前の建長寺は対外的に開かれた存在ではありませんでした。私が建長寺に来てから、これではいけない、寺というのは引っ込んでいるのではなく、市井の人たちと接するものであるという考え方から、坐禅会を開くなど、みなさんに広くお使いいただけるようにしました。学生さんや企業の方の研修などでもご利用いただいています。禅を通して何かを学ぶといった大げさなものではなく、まずは坐禅をしていただいて、その辛さと良さを感じていただきたいです。

 坐禅から得られるものは、本来、何もありません。「無」であり「空」です。その中で、坐禅をして自分というものをしっかりと見ていく。自分とは、こういうものであると。こういうものかと、自分に納得をする。それが悟りです。

 「三昧」という言葉があります。坐禅でいえば、姿勢を真っ直ぐにすることで何も考えなくなります。それが「空」の世界であり、三昧です。

 人間というのは、百人百様。それで良いのではないでしょうか。ただ、根本は、自分が中心にあって、自分を見失ってはいけないということです。「自分中心」だと、欲念ばかりを考えてしまいます。そうではなく、自分を中心にするということで、自分はどういうものに生かされているかを考えなくてはなりません。

 鎌倉にも、多様な人がいます。みなさん、鎌倉のために一生懸命にやっておられます。若い方々も然りです。

 そんな若い方々には、もっともっと鎌倉を見ていただきたいと思います。内なる鎌倉、ご自身の中にある鎌倉を、です。そのために、先人がどういうことをやってきたか、なぜ鎌倉が都になったのかなど、歴史を学びながらご自身を磨いていただきたいです。そこで、ご自身の本分を見つけることが大切になります。本分に気づいていらっしゃるものの、物が溢れ、情報が溢れる現代社会では、どうしても他に気を取られがちです。己を見失わないよう、ご自身の本分を磨き続けてください。

 私たちの世界では「人を見て法を説け」と言われています。この人にはこう話せば良い、この人にはこう教えたら良い、ということを、お一人お一人に行うものです。昔でしたら、僧はお百姓さんにお話をすることがあれば、お武家さんにものをいうこともありました。人に合わせて、根気よく伝えるのが僧の仕事です。これができるようになるために、寺では、現代の親や教師のように褒めて育てることはしません。叱って育てる。時には怒る。すると、逃げてしまう若い僧もいますが、大抵は反省して戻ってきます。若い人には知恵があり、復元力があるのです。しかし、甘やかして育てると、それが無くなってしまうのではないでしょうか。

 私は83歳になりましたが、まだまだだと思っています。人間力を高めようとすると、あれもこれもと欲をかいて考えがちになってしまいますが、そうではありません。大切なのは、自分とはどういうものかと感じることです。自分自身を見つめることが、人間力を高めることにつながります。そのために、坐禅は非常に有効です。坐禅でなくても、神仏に手を合わせても、念仏を唱えても良いです。ご自身に合ったやり方で、共に人間力を高めていきましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?