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#11 料理家 矢野ふき子氏から学ぶ「世の中をより良いものにするべく課せられた『利他の精神』」

 鎌倉で生まれ育ち、料理教室「鎌倉ダイニング」を始めて、2022年10月でちょうど20年になりました。

 父が熊本から上京して親代わりになってくれたのが、新聞に風刺画を描いていた、漫画家の那須良輔さんです。昔、島森書店で本や雑誌を購入すると、袋に流鏑馬の水墨画が描かれていましたが、それを描いたのが那須さんでした。鳩サブレーの箱を開けたところに描いてある絵も、那須さんの作品です。

 那須さんは、批評家の小林秀雄さんの家に住まわれた方で、その縁で父も鎌倉に住むことになりました。それで、私は子どもの頃から那須さんを通して、小林秀雄さんや作家の里見弴さんといった文化人の方々が交流するのを見聞きしてきました。その方々がどんな風に交流し、どうやって鎌倉のイメージをつくり上げていったかというと、すべて「食」を通してだったのです。

 文化人の方々が集って、何を食べて、そこでどういう会話をして、それをエネルギーにして、次の日にどんな発信をするか。それが、鎌倉という場所だったはずなのです。

 そういう、鎌倉文人が己を高めることで築き上げてきた鎌倉のイメージや文化が、置き去りにされているような気がしています。鎌倉という言葉が、一人歩きをしてしまっている感じです。

 それを見つめ直し、問いかけたいというのが、私にとっての長年のテーマになっています。

 那須さんは、そのお名前から「与一丸」という船をご自分でつくられました。普段は地元の漁師さんに貸していて、土日になると自分でその船を出し、お魚を釣って、それを仲間の皆さんにお酒といっしょに振る舞いながら、文化交流をしていました。そのようなことを知り、そして接していた私は、食とは何か、文化とは何か、食文化とは何かを自らも問い直したいと思いました。食を通じて、人間関係を濃くし、精神性をどれくらい強くしていけるかということを伝えたいと思ったのです。

 インターネットを見れば飲食店や食品の評価が数多く載っていますが、味覚というのはその人のその日の体調によっても変わります。「味は三代」というくらいですから、子どもの頃から食べてきたもので舌の良し悪しは決まります。ですから、食べ物を評価するというのは、そんなに簡単なことではないのではないでしょうか。

 昔から人間は、向き合い、おたがいのエネルギーを感じ取り、言葉では表現できないメッセージを受け取って交流してきたはずです。食事やお酒の席で季節のものをいただき、会話を、時には議論を交わすことで、良いものが生まれたり、素晴らしい結論が出たり、今までとはまったく違う新しい見解が生まれたりするわけです。そういうことを今の方々は忘れてしまっていると感じています。食べ物とはなんだろう、食事とはなんだろうと考えた時に、人と人とが同じものを食べるというのは、たとえば男女の交わりよりもすごいことなのです。同じものを食べて、全員死んでしまうこともあり得るわけですから。命がけ、命の根源といえます。主宰する料理教室では、同じものを調理し、いただき、その中で日常の会話を交わすことにより、明日のエネルギーを生み出したいと思っています。

 鎌倉の方々は、鎌倉らしさとは何かを考え続けてくださり、そこにそれぞれの思いを重ねて活動していらっしゃるのが素晴らしいと思います。皆さん、自分を大事にし、おたがいを大事にし合っています。

 鎌倉は、季節が一気に変わります。いきなり桜の季節になったかと思えば、いきなり紫陽花の季節、いきなり海の季節…。それを、海と山が近く、いろいろな自然から感じられるところも鎌倉の魅力です。

 私がやっている「鎌倉アンチョビ」「生しらすの沖漬け」「鎌倉海藻ポーク」、いずれも私一人ではできないことばかりです。「鎌倉ダイニング」も然りです。多種多様な多くの方々の存在があり、助けてもらっているからこそ、できるのです。これからの若い人たちにも、周りに助けてもらいながら、「これだ」と思ったことに対してあきらめないでほしいです。失敗というのは、途中であきらめてしまうこと。ぜひ最後までやり遂げてほしいと思います。

 それと、視点はグローバルに、活動はローカルに、ということも大切にしてもらいたいです。グローバルとは世界的な視点を持つこと、ローカルとは一番身近な人々を幸せにすることだと考えています。そのためには、若い人に限らず、「他人を思いやること」「自分を後回しにすること」をいかにできるかです。私もそうですが、どうしても自分のことばかり考えてしまいます。鎌倉を見つめ直すためには、そして社会をより良くするためには、利他の精神を持って、自分の一部を人のために使うことが、私たちみんなに課せられた営みのひとつなのではないでしょうか。

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