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山下澄人『君たちはしかし再び来い』レビュー

山下澄人『君たちはしかし再び来い』読了。ご本人と思われる「わたし」(山下さん)と愛猫との入院、加療を軸にした内面凝視小説。時空を自由に行き来し、一度書き上げた作品をカフカに倣い、再読し「異文」として書き上げた姿勢は、山下作品には稀有な印象で、山下氏初とのことであった朗読会にも参加して、気になったことをいくつか問いかけた。時間の往来を何のこだわりもなく融通無碍に描出するのが山下ワールドの独自性であるのに、手術をはさんで前後の自分自身を、旧わたし、と新わたし、とあえて規定しているのはなぜか。フィジカルに明らかな変異があったから、と作者の答えは明確だった。なるほど、緊急で一度、術後にさまざま検査確認して再度と2度にわたり肉体にメスをいれ、視覚検査で異常を明らかにされるということは、精神、発想に影響しないはずがない。10代の頃、入退院繰り返し、25歳で大きな手術をして、還暦直前にも階段から落下して骨折手術となった己が経験からも、言われれば、あぁなるほどと納得できた。だからこそ作品として生成されたのだろう。装丁表紙画にRockwell Kentの"Get Up!が使われた意味や、タイトルが「ヨブ記」から来ていることなど聞かなければ、ぼんやり気づくまで長く時間がかかったろうと思われることがいくつもあった。朗読会のおかげで、それらは氷解した。ベケットやサティ、T・S・エリオットで色付けされていることも興味深い。アンネ・フランクとオードリー・ヘップバーンとに係る一節は、ヘップバーンファンである自分には嬉しいエピソードだった。短編集の体裁ではあるが、全編を1作品として受け止めるべき小説である。

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