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憧れのウィーン楽友協会大ホール

 令和最初の夏、初めてウィーンに出かけた。プラハとの連泊で駆け足旅行ではあったが、永年の憧れを果たす欣喜雀躍たる時空体験だった。
 いつの頃からだったろう、おそらくクラシック音楽への傾倒が始まった小学校高学年時代、年初にウィーン楽友協会大ホールでニュー・イヤー・コンサートが行われていることを知った。テレビ中継もあって、いつかこの演奏会の場のひとりとなって新春を寿ぎたい、それが大きな憧れとなった。
 「小澤征爾、ウィーン・フィル音楽監督就任」という驚天動地の報が流れたのは、1999年。平成は11年の、すでに遠い20世紀末の6月だった。
 当時勤務していた高校で、ほぼ毎日書いては生徒たちに渡していた学級通信で速報したぼくは、これがどれほど凄いことなのかをそれから数日間、熱っぽく生徒たちに語り続けた。授業どころではなかった。いや、それがぼくの授業。吉報に大興奮する自分自身をそのまま見せた。
 小澤氏は2002年秋にウィーン・フィル音楽監督に就任し、当初は3年契約と報じられたが、結局2010年までその大役をつとめた。その間、是非1度は楽友協会ムジークフェライン黄金の間でその雄姿を鑑賞したい、幼いころからの憧れを是非とも実現せねばと、そう願ったが、成就させることはできなかった。就任の年の元旦に小澤征爾はニュー・イヤー・コンサートの指揮台に立ち、心揺さぶられる演奏会を実現させた。その感動はすぐさまライブCDとなって、100万枚のセールスを記録し大ニュースになった。
 小澤征爾の名を知ったのは、中学1年のある日だった。カラヤンやバーンスタインへの傾倒が小学生のころから始まっていて、その周辺情報で何度かその名を見たり聞いたりはしていた。けれども、その頃のぼくはN響との事件についても、それが契機となって氏が日本を離れて活動していたこともまるで知らなかった。
 中学校の第二音楽室のオルガンの後ろに小さな写真が一枚飾られていた。まっすぐ未来を見据えるように上を見上げる若々しく涼やかな青年の横顔だった。興味を持ったぼくは、誰なのかを音楽の先生に聞いた。それが、文字通り小澤征爾のプロフィールを知るきっかけとなった。
 銀座の山野楽器で初めて手にした小澤征爾のレコードは、トロント交響楽団を振ったベルリオーズ『幻想交響曲』である。所謂ジャケ買いだった。それまで横顔で焼き付いていた小澤征爾がこちらを向いていた。ベルリオーズが何たるかの知識は全くなかった。買い与えてもらったばかりの当時走りのビクター4チャンネルステレオが実にいい音で鳴った。「知は力なり」のブックカバーで名高かった銀座近藤書店で『ボクの音楽武者修行』を買って一気に読んだ。こういう日本人がいるのだという驚きが大きかった。その時の感情は、いまだに鮮明である。
 ニュー・イヤー・コンサートは、遠い憧れのままだが、夏の小旅行で2020年に向かうシーズン幕開けのコンサートを楽友協会大ホールで鑑賞した。ぼくはその2時間のためだけにタキシード一式を持参し、知人から譲られたリチャード・クレイダーマンが来日コンサートで使ったというリボン式のボータイで着飾り、満を持して、という意気込みで楽友協会へ出かけた。ところがふたを開けてみたらタキシードは自分ひとり。女性は、あでやかな装いの方を何人もお見かけしたが、男性陣はほとんどが平服。それどころかセンターの良席をほぼ独占していた中国からの団体客にいたってはみな普段着、というより、シャツ一枚の者が何人もいるというありさま。その夜はモーツアルトとベートーヴェンの交響曲演奏だったが、彼らは楽章ごとに拍手をしたり、スマートフォンを掲げての演奏撮影をしたりするなど、さすがに指揮者が客席に背を向けたまま左手でたしなめるという行儀の悪さ。顔をしかめないではいられない様相だった。それでもプラハから来たオーケストラは、指揮者とともに気迫の演奏を繰り広げ、とりわけ後半のベートーヴェン4番交響曲は圧巻だった。休憩時間に場内を歩くと妙齢の婦人たちグループのお一人から声を掛けられた。素敵なお二人だわと記念撮影まで求められ、恥ずかしいやら嬉しいやら。極東からの来訪者のいでたちが奇異に興味深かったのだろうか。そうした思いがけない声掛けのおかげもあって、礼を尽くして演奏会にやってきたことを自分なりに納得したことだった。  
 演奏会の最中しばしば小澤征爾を眼前に重ね、63歳になるまでニュー・イヤー・コンサートが憧れのままであることの時の長さに思いを致していた。演奏会終了後も、二つの交響曲は耳奥で鳴り続け、年初ではないがついに楽友協会大ホールにたどり着いた感激をいつまでもかみしめ続け、帰国の予定に抗い始めている自分自身に気づいた。これほどに帰りたくないと思った旅路はこれまでなかった。
 楽友協会で新年を迎えたいと憧れ、小澤征爾へ傾倒した時間は、紛れもなく今の自分という個性を形成している。
 新時代を迎えた夏の、ほんの一歩だけ前に進んだ、ささやかな憧れについての話である。
                (鎌倉ペンクラブ No.22  2020.1)

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