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『鎌倉物語 第十一話:父は癌になる運命だったのだろうか』

あらかじめすべての物事はそうなると決まっている、という話。
再現性がなく非科学的。
でも運命は存在しないと断ずるのもまた非科学的。
どんな事象も起こり得ないことでない限りは起こり得る。
結局のところ運命とは、起きてしまったことをどう呼ぶか、という話に過ぎない。

 鎌倉の海を眺めながら、僕は運命というものについてぼんやりと考えていた。最近は夕方になると店を閉めて、この海が見えるカフェに来るのが日課になっていた。昼食とも夕食ともつかない食事をとりながら、冬になってすっかり人気のなくした海を眺めていると、さまざまな考えが浮かんでくる。 HIROの育った場所をバイクでめぐってから1ヵ月が過ぎ、季節はいっきに冬らしくなっていた。バイクに乗るときはあったかいダウンが手放せない。観光地として人気の鎌倉もさすがに人がまばらになってきた。
 古本屋は相変わらずの低空飛行でいつも客はまばらだった。良くも悪くも時間はたくさんある。考えても仕方のないことを考えるのが小学生のころからのクセだった。運命について「そんなバカな」と思うか「そうかもしれない」と納得するか。運命とは因果関係や論理、可能・不可能といった様相、過去・現在・未来の構造を検討する時間論など、さまざまな切り口で議論することができる。

 父が癌だとわかったのはコロナのワクチンがきっかけだった。ワクチン接種で訪れた産婦人科の先生から「どうも顔色がおかしいから、ちゃんと医者に診てもらった方が良い」そう言われて、ようやく父は医者のもとを訪れた。
 半年ほど前から父は体の調子がいまいち良くなかった。食が細くなり、寝ている時間が急に増えた。顔色もどんどん悪くなり、急に老けた。医者に診てもらったら?と勧めたが、どうも行きたがらない。もともと体が強い人ではなかったから、どこかちょっと悪いのかな?ぐらいに思っていた。
 僕も仕事がちょっと忙しく3ヵ月ほど父に会っていなかった。そして久しぶりに見た父の顔は黄色く変色していた。
 とうとう重い腰を上げた父は病院へ行った。そこからは慌ただしかった。近くの病院で診てもらい、中2日ぐらいで検査結果が出ると言われていたが、検査の翌日の朝すぐに医者から電話がかかってきた。
「紹介状を書いたから、すぐに大きな病院で診てもらってください」とのことだった。
 その日の午前中にタクシーを呼び、市の中心街にある大きな病院へ父はひとりで向かった。検査の結果、その日のうちに癌が見つかり、胆管が詰まっていることがわかり手術をした。癌を取り除くことはできないので、詰まっている胆管を通す手術だ。手術は思いのほかうまくいき、胆管は通るようになったが、癌の手術はできず抗がん剤による「延命」治療にはいった。

 コロナが訪れる直前の冬。僕は両親にフランス旅行をプレゼントすることを約束していた。本当は嫁さんや孫といっしょに旅行させてあげたかったが、それは僕が甲斐性無しのせいで実現しそうになかった。だから、海外に行ける体力のあるうちに、と思っての提案だった。父はフランス文学の大学教授でもあり、フランスは父と母にとっての思い出の場所だった。暖かくなったら行こうね、と伝えていたその年、中国武漢で新型ウイルスによる流行が伝えられ、それは世界各地に広がり、私たちの日常を変えた。計画していたフランス旅行にはとてもじゃないが行ける雰囲気はなく、無期限延期とした。

 僕はコロナを憎んだ。親不孝な息子がせめてもの親孝行をしようとした途端のできごと。憎んでも憎みきれないそんな複雑な想いだった。だが、それから1年以上が過ぎたころ、父の癌を発見してくれたのはコロナだった。タクシーで病院に向かう前、父は「この家にはもう帰って来られないかもしれない」と思ったらしい。そのくらい体調が悪かったのだ。放置していたら間違いなく死んでいただろう。延命にしかならなかったが、それでも家族との時間は作ってくれた。僕も頻繁に実家に帰り、父との時間をほんの少しでも長く過ごしたいと願い、それはそれなりにかなった。フランス旅行には連れて行ってあげることができなかったが、近くの温泉旅行には連れて行ってあげることができた。僕が小学生のころ以来の家族旅行だった。

 父は癌になる運命だったのだろうか。コロナは僕たち家族の大切な思い出旅行を奪う代わりに、家族の時間をほんの少し長くもたらす運命だったのだろうか。僕は結婚できない運命だったのだろうか。子供を持つことができない運命だったのだろうか。父に孫を見せてあげることができない運命だったのだろうか。そんなものは論じても仕方のないことだろう。起こってしまったものは起こってしまったのだし、その事実を消すことはできないのだ。

そう考えると
「結局のところ運命とは、起きてしまったことをどう呼ぶか、という話に過ぎない」
という言葉がしっくりくる。

 僕は夕日に照らされた海をぼんやり見ながら父の好きだった詩を思いおこしていた。

見つけたぞ。
何を?
永遠を。
それは太陽に溶ける海だ。