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「グッバイ、ソニー。」 〜ものづくりの楽しさを教えてくれてありがとう!〜

2020年12月31日付けでソニーを退職。それと同時に起業。新卒から15年9ヶ月働いた最高の日々を綴ります。
長々と書いてしまいましたが、要約すると、
「ソニーで色々な事業立ち上げができて最高に楽しかった!新たなチャレンジをするために起業します!ありがとうソニー」に尽きます。

最高に愉快な仲間たち

ソニーで何が面白かったかって、人が面白かったですね。常にCreateする人々で未来思考でした。

とにかくポジティブで元気な同期
2005年入社はソニーショックの煽りを受けた年でもあり、入社人数は前後の年に比べて極端に少ない200名強。1/3が変人枠(学生中に起業とか)、1/3が一芸枠(スポーツで全国大会出場、ロボコン優勝とか)、1/3が優秀枠と勝手に分析していました。内定者時代から数々のイベントを開催しただけでなく、思いついたらウェブサービスを作ったり、プロトタイプ作ったり、作る系のことをたくさんしました。愚痴とかほとんど無く、とにかく元気で楽しかった。

配属日の衝撃!席の後ろはぷよぷよおじさん。その正体は?

職場の人々も強烈だった。入社式を終えて、職場への配属、僕はドキドキしていた。席に案内され、僕は新入社員らしく周りに元気よく挨拶をする。ところが、後ろの席のおじさんから返事はなく、ひたすら『ぷよぷよ』をしていた。たまたま休憩中だったのかなと思ったが、打ち合わせを終えて戻ってきてもぷよぷよをしている。次の日もぷよぷよ、部長が話しかけてきてもぷよぷよをしていた。むしろその途中でゲームオーバーになって「も〜負けちゃったじゃーん」って怒っていた。正直、やっべぇ部署に来ちゃったと思った。
そんなある日のこと、部署で特許出願のノルマが達成できていないらしく、ブレストをしていた。ぷよぷよおじさんは寝ている。「どう思いますか、Aさん」と問いかけられた。すると、急に目を開き、「〇〇で××のときに△△するとか、※※で□□のときに++とかでどう?」と答える。「それで行きましょう」と一同。先輩に「あの人何者なんすか?」と聞いたところ、「××の神様と言われてんねん。ソニー製カメラの**の性能めっちゃええやろ?あれはAさんのおかげやねん」と教えてもらう。
 ソニーってすごい会社だと心底思った。ちなみにぷよぷよおじさんのところによく遊びに来るおじさんは、なぜか語尾に「〜〜だニャー」とつく。それも手招きネコのようなジェスチャー付で。一歩間違えるとヤバイ天才たちが集結する個性的な職場だった。

新人研修のテーマで机の下で開発を続けて商品化

ソニーに入って最初の仕事は新人研修で「好きなもの作っていいよ」という課題。僕は家族写真でカメラマンが映らないのが寂しいため、「カメラをカメラマンにしたい」と思い、自動で構図を考え、最適なタイミングで撮影するロボットのような電子雲台を作った。研修終了後は本来の業務に戻ってカメラ向けの半導体開発を行うところだったのだが、研修でのテーマが忘れられず、机の下で開発を続け、紆余曲折を経てボトムアップでの商品化に到る(参照:「Party-shot」が生まれるまで。)。自分で考えたアイデアが、形になり、デモをすると目の前の人が目の色を変えて驚いてくれる。その後ワールドワイドに販売し、購入した人々からこんな素敵な写真が撮れたよと喜びの声が届く。「ものづくりって最高!」、この上ない幸せな体験だった。

ボトムアップでの商品化を通して感じたこと

続いて、ボトムアップで商品化をした経験を通して感じた良かった点・改善点を挙げます(2011年前後当時)。

良かった点①:新人とか関係なく良いアイデアに耳を傾けてくれる
実はどうやって商品化して良いか分からなかったので、トップマネジメントから順にメールを出して「すごいもん作っているんで3分話を聞いてください!」ってメールを出したり、ノーアポ直撃したりしたところ、過半数は応じてくれた。
あと印象的だったのが、「すごいね君、もっとこうしたらいいんじゃない?」って言って、その場で設計図書いて、翌日には材料持ってきて、その次の日には組み立ててプロトタイプを作ってくれたエンジニアもいた。

良かった点②:実は僕もこんなものを作っているんだ
もう一つ驚いたのが、「僕こんなもん作ってるんす」って見せたら、「いいね!実は僕もこんなもん作っているんだよ」と見せ合いっことなるケースもしばしばあったこと。ソニーでは「机の下活動」という言葉がよく使われていて、これは査定には何も関係しないのだけど、みんなものづくりが心の底から好きだから、趣味のように新しいものを作り続けていた。

良くなかった点①
何よりも驚いたのは、ボトムアップからの商品化パスがなかったこと。語弊を恐れずに言うと、当時の商品化プロセスは、主にトップダウン or 商品企画部門からのものだった。

良くなかった点②
分業されすぎていた点。設計(メカ・電気・ソフト)、企画、MK、営業それぞれが部分最適して動いていて、横断した知識を持って、新規事業をリードするメンバーがいなかった。

起業にフォーカスしたMBA留学

そんな経験から、ソニー内には良いアイデア・人材・技術に溢れていることを実感。足りないのは、それらを組み合わせて事業化する仕組み。Radical Innovaitonのための商品化プロセス検討と、技術だけではなくビジネスも理解して事業を立ち上げるスキルを身に付けるため、アントレプレナーシップに強いスペインのIE Business Schoolに留学(2013年)。職種・会社・業界・国を超えてのディスカッションは、自分を客観的に見つめ直すのに最適だった。また、新規事業を考えて仲間を集めて投資家にプレゼンするVenture Labというプログラムを通して改めて新規事業を立ち上げるプロセスを学んだり、またスタートアップにインターンとして入ってコンサルするプロジェクトで日々の現場の悩みを見たり、後々の自分のプロジェクトに大きな知見を与えてくれた。
あとは2012年という経済危機真っ只中に行ったスペインだったけど、悲壮感が全くないポジティブな精神が後の人生観に大きな影響を与えているのかもしれない。
とにもかくも、社費留学させていただけたことに感謝!

SAP (Seed Acceleration Program)の立ち上げ

SAPオーディション立ち上げ
留学中からSkype等を繋ぎながら、ソニー内の理想の新規事業創出プログラムについてディスカッション。帰国後すぐに立ち上げに加わり、初のオーディションを実施。とんでもない数の応募があり、いかに会社内に面白いアイデアが埋もれているかを再確認。

仕組みの中での成功プロジェクトを作る
その後、作り上げた仕組みの中での成功プロジェクトを生み出すため、一プロジェクトのメンバーになって事業の立ち上げ。初の社外ハッカソン開催、大企業なのにクラウドファンディング、大量生産に慣れた中で小ロット量産、さらには品質基準、生産管理、販路開拓、契約、商流、物流、通常の部署では当たり前のことだが、新規事業に最適な仕組みを作り上げるために多岐にわたる部署と調整をしながら0からプロセスを作り上げた。そして(時間はかかったが)そのプロジェクトで一つ重要なマイルストーンまで達成できた。

様々な社外の新規事業のメンタリング
その後は、SSAP(Sony Startup Acceleration Program)にリブランディングし、過去のソニーのように新規事業創出に向けた様々な課題を抱えた社外の大企業に対して、プロデューサーとして事業創出の伴走をした。大企業だけでなく、スタートアップや大学、NPOなども担当し、2年間で100チーム以上メンタリングを実施。今まで一つの事業にどっぷり浸かってきたが、多数の事業を見て、共通する部分と共通しない部分が見えてきた。

じゃあ何故辞めるのか?次に何をするのか?

いやー、こうやって振り返ってみると本当に良い会社でした!そんな充実したソニーの16年間だったのに、何故そんな会社を辞めるのか。
すごく簡単に言うと、やっぱり0からユニークな事業を立ち上げる喜びを知ってしまった以上、人様に偉そうにメンタリングするよりも、汗水垂らして立ち上げる方が楽しい。そして次に興味あるジャンルがどう考えてもソニーと関係ないため。であれば自力で0から立ち上げてみたいと思い起業しました。
というわけで、退職&起業とライフシフトします!次に何をするのかは、長くなってきたのでまた年明けに書かせて頂きます。長くなりましたが、
「グッバイ、ソニー。」
ものづくりの楽しさを教えてくれてありがとう!
善積真吾


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