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『藤沢さん』

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藤沢さんについて書こうと思う。


30年近く前のことだろうか。吹きすさぶ風が外を灰色にする、そんな1日だったと記憶している。当時独身だった藤沢さんは、父の同僚である。

「いいねぇ」が口癖だった。だから、藤沢さんがウチに遊びに(多くの場合は食を求めて)来た時、取り敢えず今ハマっていることを報告して「いいねぇ」をもらいたかった。承認欲求を満たしてくれる人間SNSである。

ミニ四駆に耽溺していた僕は、手に入れたばかりの「ダッシュ3号・シューティングスター」を最強マシンに仕立て上げるため、軽量化に勤しんでいた。翌日藤沢さんが来るという一報を父から受けた僕は、「超いいねぇ」をもらうために軽量化の限界に挑んだ。

しかし、限界に近づいた製造物は儚くも脆い。人類の夢、バベルの塔が崩れるがごとく、僕の夢、シューティングスターのボディはポキっと逝った。

翌日藤沢さんに無残な姿のマシンを見せた。ある意味、反応を見たかったというのもある。すると、藤沢さんは「いいねぇ」とやはり言った。そして、スタスタと我が家の台所へ赴き、ボンドと爪楊枝とプラスチック破片を母親から入手。腕まくりをして僕の夢と向かい合った。

そこからは、よく覚えていない。でも藤沢さんの目が少年に戻っていたことと、僕が藤沢さんをマジでかっけぇ大人だと認識したことを覚えている。そのあと、シューティングスターで遊んだ記憶はない。だから、きっと直らなかったんだ。

8年前。父の葬式の時。通夜・告別式を経て大企業の重鎮が並ぶ中、(母親が全力辞退を表明したため)僕が遺族代表挨拶をすることになり、父との日々、父の誇りを語った。自分でも出色の演説だったと思う。

すると、どこからともなく「いいねぇ、ほんといいねぇ」と号泣している声が聞こえた。白髪だらけになった藤沢さんだった。

全然よくないよ、藤沢さん、不謹慎だよ、と思ったけど、親父の死を聞いてからずっと堪えていた涙がなぜか次から次へと溢れてきて、僕はその場から動けなくなってしまった。


「どうしてそんなに国語が出来るの? すごい!」 

その一言は僕を国語教師に向かわせるのに十分だった。ショートカットとエクボが素敵な藤沢さんは、中3の時に恋した女の子である。

中1から始めた塾通い。「中学入ったら塾に行きますよ」という母親の一言は「寒くなってきたから毛布をかけてね」と同じような軽さでスッと僕に入ってきた。

バスで10分。高島屋があった駅のまんじゅうみたいな名前の塾を見に行った。バスに乗っていけること、近くに大きな本屋があったこと、楽しげな授業風景が決め手だった。割と適当に決めたが、それがこの先の人生を左右したわけだから分からないものである。

勉強だけしていればいい塾では、中学校にいる時よりも自分らしくいられたのだと思う。気の合う他校の仲間も出来た。仲間の一人と同じ中学校に通っていたのが、かの藤沢さんである。

テニス部だった藤沢さんは笑顔が爽やかで、人生で初めて出会ったエクボが魅力的な人だ。小学生の半袖短パンよろしく…と言っては失礼極まりないが、藤沢さんは冬の私服も常にミニスカートだった。きっと美脚を見せつけなければいけない使命感に駆られていたのだろう。

お互い生徒会に所属していて、区内の生徒会イベントで同席することもあり、どこか運命的なものを自己都合で感じ、少しずつ惹かれていったように思う。

国語のテストで全国1位(15,000人くらいの受験者だったはず)を取った時だった。藤沢さんに「どうしてそんなに国語ができるの? 尊敬する。すごい!」と言われて完全に有頂天になるくらいには僕も青かった。

然して僕の国語への自信は確固たるものとなるのである。今思えば、現職があるのは藤沢さんのおかげだったのかもしれない。

そんな淡い恋心を大事に大事に温めていたつもりだった。だが、ある日仲間の一人に指摘される。松田龍平ばりのポーカーフェイスが売りだった僕としては完全に虚を衝かれ、動揺を隠せなかった。

そして、その仲間が間髪を入れずに残酷な一言を放つ。「藤沢さん、彼氏いるよ。もう1年以上。学校で一番有名なカップルだぜ。いいの?」

──いいわけない。そこに突撃するほどの自信はない。しかも他校だ。

こうして僕の初恋(おそらく)は散った。でも、紛れもなく藤沢さんは可愛かった。気持ちを伝えるだけ伝えれば良かったと今は後悔している。


大学の教室にトローリーケースを引きながら現れる甲高い声の(おカマっぽい)オジさん。お世辞にも人気があったとは言えない藤沢さんは、恩師である。

教職課程の必修科目「教育心理学」の講師が藤沢さんだった。エグい科目として名高く、毎回小テストが出欠確認となっていて不人気極まりないコマである。国文学科の楽勝科目に慣れている身としては大変厳しく、しばらくは授業に行っても半眠状態が続いた。

大学一年生の時から仲良しで超優秀な(結果的に文学部主席で卒業した)林さんも同じ科目を取っていて、よく一緒に受講していた。

林さん曰く、「この人の授業、聞いておいたほうがいい。君が教師になるならタメになるよ、絶対」。林さんがそんなに言うなら……と真剣に聞いてみた。確かに面白かった。さすがだよ、林さん。ありがとう。

今でも使える実践が次から次へと紹介され、当時アルバイトをしていた塾で試してみたところ明らかに効果もあった。魅力的で面白い話や感動的な話をすれば生徒がついてくると思っていた金八世代としては、体系化された学びとその効果を知ることは衝撃だった。

大学で一番面白かった授業は、と聞かれたら秒で藤沢さんの「教育心理学」を挙げる。でも、授業はいつも気色悪かった。能面のように真っ白な化粧をしたオカマ、もとい中性的な先生は口調もそれだったからだ。

大学3年生のある時、意を決して自分のビジョンを伝えてみた。すると「やりたい教育を実現するなら塾です」、そう自信満々に爽やかさとは無縁の笑顔で言ってくれた。

へぇ、塾なんだ。塾経営ってそんなに自由で面白いのか。信頼する藤沢さんのその一言が僕を塾の世界に引き入れた。

今、幸せです。先生、お元気ですか?


以上である。

僕にとって藤沢さんは良い。とても良い。

そんな藤沢さんに出会わなくなって久しい。
我こそは藤沢さんである、という人はぜひ僕の前に現れてほしい。


おしまい


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